功運寺 @東京都中野区
2012年12月11日(火)
今日は私用で立川市に用事があったので、午後休にしました。
私用の時間まで余裕があったので、中央本線東中野駅で途中下車し、功運寺に寄ってみることにしました。
途中、寄り道の寄り道(東中野駅近く早稲田通りの寺院めぐり①《正見寺/青原寺/源通寺/高徳寺/龍興寺》・東中野駅近く早稲田通りの寺院めぐり②《松源寺/宗清寺/保善寺/天徳院》)をして到着ですwww
功運寺は正式には「龍寶山 萬昌院 功運寺」と号する曹洞宗の寺院です。
当寺の縁起はホームページによると
『萬昌院功運寺は、道元禅師の教えをまもる曹洞宗のお寺です。大本山は永平寺・總持寺です。昭和二十三年までは久寶山萬昌院と竜谷功運寺という、べつべつのお寺でした。久寶山萬昌院は、戦国武将として有名な今川義元の子今川(1月)長得が天正2年(1574)に佛照圓鑑禅師をまねいて半蔵門の近くに開きました。その後、いくどか移転し、大正3年(1914)、牛込より中野に移りましたが、三年後の大正6年に本堂が焼失してしまいました。竜谷山功運寺は、慶長三年(1598)に、永井尚政が父尚勝・祖父重元のため、黙室芳誾禅師をまねいて桜田門外に開いたお寺です。尚勝・尚政の親子は、徳川家康につかえて活躍した大名です。功運寺がいくどか移転をし、三田からいまの場所に移ったのは、大正11年(1922)のことです。墓地にはさまざまな人のお墓があります。有名なのは萬昌院で守られてきた吉良上野介義央のお墓です。忠臣蔵では浅野内匠頭長矩に理不尽な仕打ちをした人物とされていますが、実際は善政をおこなって人びとから慕われた名君でした。ほかに著名な人のお墓として、旗本・水野重郎左衛門、浮世絵師・歌川豊国、南蛮外科医・栗崎道有、作家・林芙美子などがあります。また、大岡越前守忠相などの人物とゆかりのあるところです』
なのだそうです。
功運寺に来たかった理由は、吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしなか)のお墓があるからです。
泉岳寺(東京都港区)に行った時、初めて忠臣蔵に興味を持ちました。当寺のホームページにも記載がある通り、忠臣蔵では悪役になっている吉良上野介が気の毒で、吉良上野介の縁の地を訪ねてみたいと思ったのがきっかけです。
泉岳寺訪問の約1ヶ月後、本所松坂町公園 吉良邸跡(東京都墨田区)には行ったのですが、中野区に来る用事がなかったので、ようやく訪問することが出来ました(^^
吉良家四代の墓は中野区登録有形文化財となっています。
【山門】
『警備員が立っていて、入山料はありませんでしたが、住所、氏名を名簿に記入しました。境内に幼稚園があるので安全対策の一環なんでしょう』

【寺号標】

『いろんな方の菩提寺なんですね』

【吉良家の墓所説明板】

【本堂】

『本堂の奥が墓所になっています』

【墓地案内板】
『僕が知らない人もいますが、随分とたくさんの歴史上の人物が当寺に眠っているんですね。折角なので1つ1つ参拝してみることにしました』

【永井家歴代墓】


【長沼活然斎墓(ながぬま かつぜんさい)】


【水野重郎左衛門墓(みずの じゅうろうざえもん)】


【長沼国郷墓(ながぬま くにさと)】


【糟屋武則墓(かすや たけのり)】


【三界萬霊塔(さんがいばんれいとう)】

【永遠の生命の塔(とわのいのちのとう)】

【林芙美子墓(はやし ふみこ)】


【歌川豊国(初代、二代、三代)墓(うたがわ とよくに)】


【吉良上野介義央墓(きら こうずけのすけ よしなか)】
『僕にはそんな悪い人には思えないんですよね。安らかにお眠りください』




【武蔵石寿墓(むさし せきじゅ)】


【石井潭香墓(いしい たんこう)】


【今川家歴代墓】



【栗崎道有墓(くりさき どうう)】


住所:東京都中野区上高田4-14-1
電話:03-3387-6321
ホームページ:http://homepage2.nifty.com/makotoyouchien/kounji/kounji.html
2013年10月12日投稿
今日は私用で立川市に用事があったので、午後休にしました。
私用の時間まで余裕があったので、中央本線東中野駅で途中下車し、功運寺に寄ってみることにしました。
途中、寄り道の寄り道(東中野駅近く早稲田通りの寺院めぐり①《正見寺/青原寺/源通寺/高徳寺/龍興寺》・東中野駅近く早稲田通りの寺院めぐり②《松源寺/宗清寺/保善寺/天徳院》)をして到着ですwww
功運寺は正式には「龍寶山 萬昌院 功運寺」と号する曹洞宗の寺院です。
当寺の縁起はホームページによると
『萬昌院功運寺は、道元禅師の教えをまもる曹洞宗のお寺です。大本山は永平寺・總持寺です。昭和二十三年までは久寶山萬昌院と竜谷功運寺という、べつべつのお寺でした。久寶山萬昌院は、戦国武将として有名な今川義元の子今川(1月)長得が天正2年(1574)に佛照圓鑑禅師をまねいて半蔵門の近くに開きました。その後、いくどか移転し、大正3年(1914)、牛込より中野に移りましたが、三年後の大正6年に本堂が焼失してしまいました。竜谷山功運寺は、慶長三年(1598)に、永井尚政が父尚勝・祖父重元のため、黙室芳誾禅師をまねいて桜田門外に開いたお寺です。尚勝・尚政の親子は、徳川家康につかえて活躍した大名です。功運寺がいくどか移転をし、三田からいまの場所に移ったのは、大正11年(1922)のことです。墓地にはさまざまな人のお墓があります。有名なのは萬昌院で守られてきた吉良上野介義央のお墓です。忠臣蔵では浅野内匠頭長矩に理不尽な仕打ちをした人物とされていますが、実際は善政をおこなって人びとから慕われた名君でした。ほかに著名な人のお墓として、旗本・水野重郎左衛門、浮世絵師・歌川豊国、南蛮外科医・栗崎道有、作家・林芙美子などがあります。また、大岡越前守忠相などの人物とゆかりのあるところです』
なのだそうです。
功運寺に来たかった理由は、吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしなか)のお墓があるからです。
泉岳寺(東京都港区)に行った時、初めて忠臣蔵に興味を持ちました。当寺のホームページにも記載がある通り、忠臣蔵では悪役になっている吉良上野介が気の毒で、吉良上野介の縁の地を訪ねてみたいと思ったのがきっかけです。
泉岳寺訪問の約1ヶ月後、本所松坂町公園 吉良邸跡(東京都墨田区)には行ったのですが、中野区に来る用事がなかったので、ようやく訪問することが出来ました(^^
吉良家四代の墓は中野区登録有形文化財となっています。
【山門】
『警備員が立っていて、入山料はありませんでしたが、住所、氏名を名簿に記入しました。境内に幼稚園があるので安全対策の一環なんでしょう』

【寺号標】

『いろんな方の菩提寺なんですね』

【吉良家の墓所説明板】

【本堂】

『本堂の奥が墓所になっています』

【墓地案内板】
『僕が知らない人もいますが、随分とたくさんの歴史上の人物が当寺に眠っているんですね。折角なので1つ1つ参拝してみることにしました』

【永井家歴代墓】


【長沼活然斎墓(ながぬま かつぜんさい)】


【水野重郎左衛門墓(みずの じゅうろうざえもん)】


【長沼国郷墓(ながぬま くにさと)】


【糟屋武則墓(かすや たけのり)】


【三界萬霊塔(さんがいばんれいとう)】

【永遠の生命の塔(とわのいのちのとう)】

【林芙美子墓(はやし ふみこ)】


【歌川豊国(初代、二代、三代)墓(うたがわ とよくに)】


【吉良上野介義央墓(きら こうずけのすけ よしなか)】
『僕にはそんな悪い人には思えないんですよね。安らかにお眠りください』




【武蔵石寿墓(むさし せきじゅ)】


【石井潭香墓(いしい たんこう)】


【今川家歴代墓】



【栗崎道有墓(くりさき どうう)】


住所:東京都中野区上高田4-14-1
電話:03-3387-6321
ホームページ:http://homepage2.nifty.com/makotoyouchien/kounji/kounji.html
2013年10月12日投稿