苗間神明神社 @埼玉県ふじみ野市
2012年11月25日(日)
今日はふじみ野市の東武東上線ふじみ野駅東側周辺を散策してみることにしました。
まず最初に苗間神明神社にやって来ました。
ふじみ野駅東口前の通りを300m程進み、交差点を右折し300m程のところ、県道266号線(ふじみ野朝霞線)の傍にあります。
当社の由緒は説明板によると
昔より神明様、あるいは産土(うぶすな)様と呼び親しまれてきた当社は新編武蔵風土記稿によれば、神明社は村の鎮守なり、天王社・第六天社・天神社・稲荷社・熊野権現社、以上六社ともに浄禅寺持とあり、大日孁貴命(おおひるめむちのみこと)《天照大神》を祀るとあります。口碑には享和から文化年間(1804~1818年)にかけて、村民が伊勢大神宮に参拝し幣を押受してきたと云われています。寛保年間(1741~1744年)の古文書にも古六天神社・熊野神社・稲荷社・八雲神社・天満天神社は見えているが、神明神社は見えないので、やはり享和・文化年代に設立されたものと思われます。
文化五年(1808年)戊辰の幟旗が有り、神木喜一家の屋敷神であり、村方の社でもあった大六天社が摂末社として祀られていますが、これは神明神社の創立と同時に合祀されたもので、神木家では改めて文化元年(1804年)に琴比羅宮を屋敷神に祀り、それが現存しています。
浄禅寺の摂末社の熊野神社は現高野喜一郎氏の屋敷に隣接し、社地として二反七畝(約2600㎡)もあったと云われています。
地名としては現在でも、天神前・熊野山・天王など□□□□□(滲んでいて読めません)ます。
本殿や拝殿などは明治四十年(1907年)に新・改築され、榛名神社の御神木などが使用されたといいます。
境内には苗間地内の神葬祭の御霊殿なるものがあったが、戦後、薬師堂の東隣に移され、春彼岸の中日には神事が取り行われています。社殿裏の大欅は樹齢三百年余、高さ37m余。また近年まであった大杉はその根を今に留めています。
なお、特筆されてよいのは社殿の西側にあるレンガ造りの灯籠で5m余。レンガの大きさから見て明治初期の建築ではないかと言われています。
なのだそうです。
社殿脇のレンガ造りの燈明台はふじみ野市指定有形文化財、社殿裏手の御神木の大欅はふじみ野市指定天然記念物になっています。
『東武東上線ふじみ野駅からスタートです。どうでもいいことですが、志木駅が新座市にあるのと同様、ふじみ野駅はふじみ野市ではなく、富士見市にありますwww』

『途中、勝瀬ミニパークがありました。奥に見える半円のオブジェが可愛かったので、思わずパチリ!』

【境内入口】
『県道266号線と蕎麦屋に挟まれた狭い参道入口です。案内板が立っていなかったら、神社があるなんて絶対気付きませんwww』

『住宅に挟まれた狭い参道を進みます』

『狭い参道を抜けると、社殿と立派な木々達が鎮座していました』

【社号標】

【拝殿】

【本殿】

【手水舎・神楽殿】

【燈明台】ふじみ野市指定有形文化財
『拝殿脇にレンガ造りの燈明台があります。高さ6m、屋根以外の全てをレンガで積み上げた旧大井村初代村長の神木三郎兵衛による燈明台と考えられています。基台の上に板張りの塔を建て、頂上の部屋の四方に窓を開け、中に燈明を設置する江戸時代以来の燈明台を踏襲したもので、建立年は不明ですが、明治20年代中ごろの様式を持つ埼玉県内で最も古いタイプのレンガ建造物です。700~800度の薪で焼かれて橙色(だいだいいろ)をしたレンガの大きさが不揃いで、レンガの間は漆喰(しっくい)でとめられているなど、明治後期に流行した軒下(のきした)の飾りが随所にあります。明治期、当時の苗間村の村内安全を祈願して、神明神社に奉納されたものです。明治の文明開化後の新しい時代を象徴するレンガ積みのものとして風格があり、近隣に類例を見ないものなのだそうです』


【大欅】ふじみ野市指定天然記念物
『苗間神明神社の社殿裏手にあるけやきで、神社の神木(しんぼく)とされています。樹齢は約400年です。高さ17m、目通りの周囲は約5m、根回り10m、枝張り9.5mに及ぶ市内最大規模の植物です。詳細は説明板をご覧いただければと思います』



『天然記念物の大欅以外にも、けやき、いちょう、かしなどが立派に林立しています』

『ポトッ・・ポトッ・・と地面を叩く音がするので、なんだろうと思ったら、どんぐりでしたw』

『本殿の奥に境内社がありました』

【八雲神社】

【子の権現社・熊野神社・天満天神社・稲荷神社】

【古六天神社】

『古六天神社の左脇には弁財天様などが祀られていました』

住所:埼玉県ふじみ野市苗間372-1
電話:049-266-1331(宮司宅)
2013年2月19日投稿
今日はふじみ野市の東武東上線ふじみ野駅東側周辺を散策してみることにしました。
まず最初に苗間神明神社にやって来ました。
ふじみ野駅東口前の通りを300m程進み、交差点を右折し300m程のところ、県道266号線(ふじみ野朝霞線)の傍にあります。
当社の由緒は説明板によると
昔より神明様、あるいは産土(うぶすな)様と呼び親しまれてきた当社は新編武蔵風土記稿によれば、神明社は村の鎮守なり、天王社・第六天社・天神社・稲荷社・熊野権現社、以上六社ともに浄禅寺持とあり、大日孁貴命(おおひるめむちのみこと)《天照大神》を祀るとあります。口碑には享和から文化年間(1804~1818年)にかけて、村民が伊勢大神宮に参拝し幣を押受してきたと云われています。寛保年間(1741~1744年)の古文書にも古六天神社・熊野神社・稲荷社・八雲神社・天満天神社は見えているが、神明神社は見えないので、やはり享和・文化年代に設立されたものと思われます。
文化五年(1808年)戊辰の幟旗が有り、神木喜一家の屋敷神であり、村方の社でもあった大六天社が摂末社として祀られていますが、これは神明神社の創立と同時に合祀されたもので、神木家では改めて文化元年(1804年)に琴比羅宮を屋敷神に祀り、それが現存しています。
浄禅寺の摂末社の熊野神社は現高野喜一郎氏の屋敷に隣接し、社地として二反七畝(約2600㎡)もあったと云われています。
地名としては現在でも、天神前・熊野山・天王など□□□□□(滲んでいて読めません)ます。
本殿や拝殿などは明治四十年(1907年)に新・改築され、榛名神社の御神木などが使用されたといいます。
境内には苗間地内の神葬祭の御霊殿なるものがあったが、戦後、薬師堂の東隣に移され、春彼岸の中日には神事が取り行われています。社殿裏の大欅は樹齢三百年余、高さ37m余。また近年まであった大杉はその根を今に留めています。
なお、特筆されてよいのは社殿の西側にあるレンガ造りの灯籠で5m余。レンガの大きさから見て明治初期の建築ではないかと言われています。
なのだそうです。
社殿脇のレンガ造りの燈明台はふじみ野市指定有形文化財、社殿裏手の御神木の大欅はふじみ野市指定天然記念物になっています。
『東武東上線ふじみ野駅からスタートです。どうでもいいことですが、志木駅が新座市にあるのと同様、ふじみ野駅はふじみ野市ではなく、富士見市にありますwww』

『途中、勝瀬ミニパークがありました。奥に見える半円のオブジェが可愛かったので、思わずパチリ!』

【境内入口】
『県道266号線と蕎麦屋に挟まれた狭い参道入口です。案内板が立っていなかったら、神社があるなんて絶対気付きませんwww』

『住宅に挟まれた狭い参道を進みます』

『狭い参道を抜けると、社殿と立派な木々達が鎮座していました』

【社号標】

【拝殿】

【本殿】

【手水舎・神楽殿】

【燈明台】ふじみ野市指定有形文化財
『拝殿脇にレンガ造りの燈明台があります。高さ6m、屋根以外の全てをレンガで積み上げた旧大井村初代村長の神木三郎兵衛による燈明台と考えられています。基台の上に板張りの塔を建て、頂上の部屋の四方に窓を開け、中に燈明を設置する江戸時代以来の燈明台を踏襲したもので、建立年は不明ですが、明治20年代中ごろの様式を持つ埼玉県内で最も古いタイプのレンガ建造物です。700~800度の薪で焼かれて橙色(だいだいいろ)をしたレンガの大きさが不揃いで、レンガの間は漆喰(しっくい)でとめられているなど、明治後期に流行した軒下(のきした)の飾りが随所にあります。明治期、当時の苗間村の村内安全を祈願して、神明神社に奉納されたものです。明治の文明開化後の新しい時代を象徴するレンガ積みのものとして風格があり、近隣に類例を見ないものなのだそうです』


【大欅】ふじみ野市指定天然記念物
『苗間神明神社の社殿裏手にあるけやきで、神社の神木(しんぼく)とされています。樹齢は約400年です。高さ17m、目通りの周囲は約5m、根回り10m、枝張り9.5mに及ぶ市内最大規模の植物です。詳細は説明板をご覧いただければと思います』



『天然記念物の大欅以外にも、けやき、いちょう、かしなどが立派に林立しています』

『ポトッ・・ポトッ・・と地面を叩く音がするので、なんだろうと思ったら、どんぐりでしたw』

『本殿の奥に境内社がありました』

【八雲神社】

【子の権現社・熊野神社・天満天神社・稲荷神社】

【古六天神社】

『古六天神社の左脇には弁財天様などが祀られていました』

住所:埼玉県ふじみ野市苗間372-1
電話:049-266-1331(宮司宅)
2013年2月19日投稿