大塚八幡神社 @埼玉県比企郡小川町
2012年9月18日(火)
割烹旅館二葉(ふたば)で食事をした後、周辺を散策してみることにしました。
まず、大塚八幡神社にやって来ました。
当社は、鎌倉幕府の滅亡に際し、慈光寺の山麓の古寺の里に亡命し、土豪猿尾(ましお)氏に迎えられた将軍守邦親王(もりくにしんのう)が鎮守神明社の境内に勧請したのが始まりで、元弘三年(1333年)に創建されたと伝えられています。詳細につきましては、下記添付由緒書き写真をご覧いただければと思います。
ご祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)(推定)です。
境内には小川町指定天然記念物の大ケヤキや芭蕉の句碑があるらしいのですが、見つけることができませんでした(TT 後でゆっくり調べたら、社殿の右奥、境内の隅にあったみたいです。確かにそこは探さなかったです・・・
【参道入口】
『まっすぐ300m程進むと、境内の東側入口に突き当たります』

【東側入口】

【正面(南側)入口・社号標・鳥居】

『まっすぐ進むと左手に手水舎と神楽殿があります』

【手水舎】

【神楽殿】

【狛犬】

【拝殿】

【拝殿・本殿】

『拝殿の前に鳩の像があります。これはなかなか珍しいですね^^)調べてみたところ「鳩」は八幡神社の神使なんだそうです。でも他の八幡神社でそんなに見かけたかなぁ?』

『拝殿・本殿の左手には境内社がいくつかあります』

【天満宮・秋葉神社・天手長男神社(あめのたながおじんじゃ)・琴平神社】
『左は天満宮、右は秋葉神社・天手長男神社・琴平神社が合祀されています』

【産泰神社(さんたいじんじゃ)】

【由緒】

所在地:埼玉県比企郡小川町大塚427
2012年12月1日投稿
割烹旅館二葉(ふたば)で食事をした後、周辺を散策してみることにしました。
まず、大塚八幡神社にやって来ました。
当社は、鎌倉幕府の滅亡に際し、慈光寺の山麓の古寺の里に亡命し、土豪猿尾(ましお)氏に迎えられた将軍守邦親王(もりくにしんのう)が鎮守神明社の境内に勧請したのが始まりで、元弘三年(1333年)に創建されたと伝えられています。詳細につきましては、下記添付由緒書き写真をご覧いただければと思います。
ご祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)(推定)です。
境内には小川町指定天然記念物の大ケヤキや芭蕉の句碑があるらしいのですが、見つけることができませんでした(TT 後でゆっくり調べたら、社殿の右奥、境内の隅にあったみたいです。確かにそこは探さなかったです・・・
【参道入口】
『まっすぐ300m程進むと、境内の東側入口に突き当たります』

【東側入口】

【正面(南側)入口・社号標・鳥居】

『まっすぐ進むと左手に手水舎と神楽殿があります』

【手水舎】

【神楽殿】

【狛犬】

【拝殿】

【拝殿・本殿】

『拝殿の前に鳩の像があります。これはなかなか珍しいですね^^)調べてみたところ「鳩」は八幡神社の神使なんだそうです。でも他の八幡神社でそんなに見かけたかなぁ?』

『拝殿・本殿の左手には境内社がいくつかあります』

【天満宮・秋葉神社・天手長男神社(あめのたながおじんじゃ)・琴平神社】
『左は天満宮、右は秋葉神社・天手長男神社・琴平神社が合祀されています』

【産泰神社(さんたいじんじゃ)】

【由緒】

所在地:埼玉県比企郡小川町大塚427
2012年12月1日投稿