高源寺 @埼玉県行田市
2012年9月9日(日)
佐間天神社から県道77号線を挟み東方向へ100m程のところに高源寺(こうげんじ)があります。
高源寺は、正式には「天真山 高源寺」と号する臨済宗円覚寺派の寺院です。
昔、行田市は忍藩として隆盛を誇っていましたが、天正十八年(1590年)豊臣秀吉の小田原城攻めの時、石田三成の軍勢により、忍城は水攻めを受けました。忍城佐間口の守将正木丹波守利英公は奮戦し、城が破られることはなかったのですが、小田原城での籠城に参戦していた城主成田氏長公が敗れたため、止む無く忍城を開城しました。
この戦で正木丹波守利英は無常を悟り、水攻め彼我戦殉者の霊を弔うため、武士をすて、佐間の地に高源寺を建立、開山しました。初代住職に守天昌意和尚を迎え、一心に菩提を弔い、翌天正十九年(1591年)に没しました。
このことは和田竜著「のぼうの城」にも記されています。
山門の脇には、正木丹波守利英のお墓があります。
【参道入口】

【山門】

【正木丹波守利英の墓】
『「当山開基正木丹波守利英公之碑」と書かれています』


【六地蔵】

【本堂】

『本堂の前に供養塔が立っています』

【縁起】


住所:埼玉県行田市佐間1-2-9
電話:048-554-0042
2012年11月9日投稿
佐間天神社から県道77号線を挟み東方向へ100m程のところに高源寺(こうげんじ)があります。
高源寺は、正式には「天真山 高源寺」と号する臨済宗円覚寺派の寺院です。
昔、行田市は忍藩として隆盛を誇っていましたが、天正十八年(1590年)豊臣秀吉の小田原城攻めの時、石田三成の軍勢により、忍城は水攻めを受けました。忍城佐間口の守将正木丹波守利英公は奮戦し、城が破られることはなかったのですが、小田原城での籠城に参戦していた城主成田氏長公が敗れたため、止む無く忍城を開城しました。
この戦で正木丹波守利英は無常を悟り、水攻め彼我戦殉者の霊を弔うため、武士をすて、佐間の地に高源寺を建立、開山しました。初代住職に守天昌意和尚を迎え、一心に菩提を弔い、翌天正十九年(1591年)に没しました。
このことは和田竜著「のぼうの城」にも記されています。
山門の脇には、正木丹波守利英のお墓があります。
【参道入口】

【山門】

【正木丹波守利英の墓】
『「当山開基正木丹波守利英公之碑」と書かれています』


【六地蔵】

【本堂】

『本堂の前に供養塔が立っています』

【縁起】


住所:埼玉県行田市佐間1-2-9
電話:048-554-0042
2012年11月9日投稿