大日堂の梵鐘(ぼんしょう) @埼玉県志木市
2011年6月25日(土)
大日堂の梵鐘(ぼんしょう)を見に行ってきました。
大日堂は正式には遍照山大日堂(へんしょうざんだいにちどう)と称し、貞和二年(1346年)十月に戦乱を逃れてこの地に来た数名の落武者により創設されたのが始まりと言われ、その後延文三年(1358年)八月に新たに本堂庫裏が再建されたと言われています。江戸期には現在の下宗岡にあった新義真言宗観音寺の別院でしたが、明治初年に観音寺が廃寺になったのに伴い宗派を超えて曹洞宗龍澤山大仙寺の傘下に入りました。
梵鐘には、上・中・下宗岡の名主組頭の名や観音講中の人々の名が刻まれており、宗岡村全体で先祖代々の供養のために、この鐘を鋳造し奉納したものと思われます。この鐘を鋳造する時に檀家が金銀・簪(かんざし)などを投入したので鐘の響きが非常に良いと言われており、江戸期に鋳造された梵鐘としては市内で唯一のもので、志木市の有形文化財に指定されています。
【大日堂】


【梵鐘】志木市指定有形文化財


『県道40号線から見た大日堂』

【地図】
住所:埼玉県志木市下宗岡3-15
2011年6月27日投稿
大日堂の梵鐘(ぼんしょう)を見に行ってきました。
大日堂は正式には遍照山大日堂(へんしょうざんだいにちどう)と称し、貞和二年(1346年)十月に戦乱を逃れてこの地に来た数名の落武者により創設されたのが始まりと言われ、その後延文三年(1358年)八月に新たに本堂庫裏が再建されたと言われています。江戸期には現在の下宗岡にあった新義真言宗観音寺の別院でしたが、明治初年に観音寺が廃寺になったのに伴い宗派を超えて曹洞宗龍澤山大仙寺の傘下に入りました。
梵鐘には、上・中・下宗岡の名主組頭の名や観音講中の人々の名が刻まれており、宗岡村全体で先祖代々の供養のために、この鐘を鋳造し奉納したものと思われます。この鐘を鋳造する時に檀家が金銀・簪(かんざし)などを投入したので鐘の響きが非常に良いと言われており、江戸期に鋳造された梵鐘としては市内で唯一のもので、志木市の有形文化財に指定されています。
【大日堂】


【梵鐘】志木市指定有形文化財


『県道40号線から見た大日堂』

【地図】
住所:埼玉県志木市下宗岡3-15
2011年6月27日投稿