増上寺芝山内の子院めぐり⑤の3《心光院》 @東京都港区
2012年4月25日(水)
増上寺芝山内の子院めぐり⑤の2《宝珠院》の続きです。
増上寺芝山内(旧増上寺境内)には沢山の子院があります。
言うまでもないことですが、増上寺の子院なのですべての寺院が浄土宗です。
⑤編は増上寺の南西から西方面、赤羽橋付近にある寺院です。
妙定院、鑑蓮社善長寺、宝珠院、心光院をまとめてアップする予定でしたが、見どころが多かったので、⑤の1「妙定院・鑑蓮社善長寺」、⑤の2「宝珠院」、⑤の3「心光院」と分けることにしました。
⑤の3は、心光院(心光教院)です。
なるべく縁起等は記載いたしますが、芝組ホームページ
http://www.shiba.gr.jp/indextemple.html
も併せてご覧いただければと思います。
宝珠院の見学を終え、心光院にやって来ました。
東京タワー南西側の麓にあります。
当院は増上寺の学寮として開設され、増上寺が貝塚(現・千代田区紀尾井町あたり)から現在地へ移転した時に、切り通しの涅槃門付近(現・芝高校あたり)に配置されました。宝暦十一年(1761年)九代将軍徳川家重霊廟造営のため赤羽橋北詰西側に移転、昭和ニ十五年(1950年)現在地に移りました。
戦災を免れた表門は国の有形文化財に登録されています。
本堂左脇にお竹大日如来像と流し板を祀ったお竹大日堂があります。
寛永年間(1624~1643年)江戸大伝馬町の名主佐久間勘解由(かげゆ)家の下女お竹は庄内(山形県)出身で、愛しみの心が深く、朝夕の自分の食事を貧しい人に施し、自らは水盤の隅に網を置いて、洗い流しの飯が溜まったものを食料にしたといいます。この話を聞いた五代将軍綱吉の生母桂昌院は、いたく心を動かされ、金欄の布に包まれた立派な箱にお竹さんが当時使っていた流し板を納めて、増上寺の別院であった心光院に寄進し、その徳光を顕彰したそうです。
江戸へ奉公にでていた庄内出身の女中「於竹」は、羽黒山へ参詣する行者の不思議な夢のお告げにより、「生きた大日如来である」とされました。於竹は行者の訪問後、亡くなったが没後、奉公先の夫婦は於竹の等身大の大日如来を作り供養しました。寛容で慈悲深く、とても物を大切にする働き者の奉公人「於竹」の人柄、羽黒山行者の不思議な夢のお告げ、奉公先の夫婦の「於竹」へのやさしい心づかいなどの話が相まって、当時、「於竹大日如来」は、江戸庶民の間で一大ブームとなり、「於竹大日如来」を参詣する者が絶えなかったといいます。ブームとなった江戸の町では、芝居、小説、講釈、錦絵などに描かれたそうです。
そんな慈悲深い方がいたんですね^^
それに引き替え現在の日本は、自分さえ良ければいいという輩が起こす詐欺事件ばかり・・・
弱者や老人を労わるのではなく、騙すのですから最低の人間達ですよね(--)
日本人のモラルの低下が著しいのは嘆かわしいことです(TT)
お竹さんにゆかりがある場所として、東京では北区赤羽西六丁目の善徳寺に「お竹のお墓」、中央区日本橋本町三丁目に「於竹大日如来井戸跡」があるそうです。
今回の心光院訪問で偶然知ったお竹さんに興味が湧きました。
いずれの場所も仕事で行くことがあるので、近いうちに寄ってみようと思います^^
『心光院の近くまで行くと、ズドーン!と東京タワーが目に入ります。東京タワーの麓にあります』

『あっ!2011年3月11日の東日本大震災の影響で曲がってしまった突端部を修理しているみたいです』

【心光院(しんこういん)表門】国登録有形文化財


【寺号標】

【お竹大日堂・お竹大日如来】



【本堂】


【水子地蔵菩薩】

【石仏】

『龍の石像が安置されています。背広を着た人間が平日昼間に境内をうろうろしていて不審者と思われたのかwww偶然通りかかった住職(?)さんに何かを探しているのですかと尋ねられ、見学しているだけですと回答後、これは何なのか尋ねたら、あまりお寺とは関係ないが檀家さんの希望で安置したもので・・・とのこと。結局よく分りませんでしたwww』


増上寺芝山内の子院めぐり・・・完
住所:東京都港区東麻布1-1-5
電話:03-3583-4766
2012年5月11日投稿
増上寺芝山内の子院めぐり⑤の2《宝珠院》の続きです。
増上寺芝山内(旧増上寺境内)には沢山の子院があります。
言うまでもないことですが、増上寺の子院なのですべての寺院が浄土宗です。
⑤編は増上寺の南西から西方面、赤羽橋付近にある寺院です。
妙定院、鑑蓮社善長寺、宝珠院、心光院をまとめてアップする予定でしたが、見どころが多かったので、⑤の1「妙定院・鑑蓮社善長寺」、⑤の2「宝珠院」、⑤の3「心光院」と分けることにしました。
⑤の3は、心光院(心光教院)です。
なるべく縁起等は記載いたしますが、芝組ホームページ
http://www.shiba.gr.jp/indextemple.html
も併せてご覧いただければと思います。
宝珠院の見学を終え、心光院にやって来ました。
東京タワー南西側の麓にあります。
当院は増上寺の学寮として開設され、増上寺が貝塚(現・千代田区紀尾井町あたり)から現在地へ移転した時に、切り通しの涅槃門付近(現・芝高校あたり)に配置されました。宝暦十一年(1761年)九代将軍徳川家重霊廟造営のため赤羽橋北詰西側に移転、昭和ニ十五年(1950年)現在地に移りました。
戦災を免れた表門は国の有形文化財に登録されています。
本堂左脇にお竹大日如来像と流し板を祀ったお竹大日堂があります。
寛永年間(1624~1643年)江戸大伝馬町の名主佐久間勘解由(かげゆ)家の下女お竹は庄内(山形県)出身で、愛しみの心が深く、朝夕の自分の食事を貧しい人に施し、自らは水盤の隅に網を置いて、洗い流しの飯が溜まったものを食料にしたといいます。この話を聞いた五代将軍綱吉の生母桂昌院は、いたく心を動かされ、金欄の布に包まれた立派な箱にお竹さんが当時使っていた流し板を納めて、増上寺の別院であった心光院に寄進し、その徳光を顕彰したそうです。
江戸へ奉公にでていた庄内出身の女中「於竹」は、羽黒山へ参詣する行者の不思議な夢のお告げにより、「生きた大日如来である」とされました。於竹は行者の訪問後、亡くなったが没後、奉公先の夫婦は於竹の等身大の大日如来を作り供養しました。寛容で慈悲深く、とても物を大切にする働き者の奉公人「於竹」の人柄、羽黒山行者の不思議な夢のお告げ、奉公先の夫婦の「於竹」へのやさしい心づかいなどの話が相まって、当時、「於竹大日如来」は、江戸庶民の間で一大ブームとなり、「於竹大日如来」を参詣する者が絶えなかったといいます。ブームとなった江戸の町では、芝居、小説、講釈、錦絵などに描かれたそうです。
そんな慈悲深い方がいたんですね^^
それに引き替え現在の日本は、自分さえ良ければいいという輩が起こす詐欺事件ばかり・・・
弱者や老人を労わるのではなく、騙すのですから最低の人間達ですよね(--)
日本人のモラルの低下が著しいのは嘆かわしいことです(TT)
お竹さんにゆかりがある場所として、東京では北区赤羽西六丁目の善徳寺に「お竹のお墓」、中央区日本橋本町三丁目に「於竹大日如来井戸跡」があるそうです。
今回の心光院訪問で偶然知ったお竹さんに興味が湧きました。
いずれの場所も仕事で行くことがあるので、近いうちに寄ってみようと思います^^
『心光院の近くまで行くと、ズドーン!と東京タワーが目に入ります。東京タワーの麓にあります』

『あっ!2011年3月11日の東日本大震災の影響で曲がってしまった突端部を修理しているみたいです』

【心光院(しんこういん)表門】国登録有形文化財


【寺号標】

【お竹大日堂・お竹大日如来】



【本堂】


【水子地蔵菩薩】

【石仏】

『龍の石像が安置されています。背広を着た人間が平日昼間に境内をうろうろしていて不審者と思われたのかwww偶然通りかかった住職(?)さんに何かを探しているのですかと尋ねられ、見学しているだけですと回答後、これは何なのか尋ねたら、あまりお寺とは関係ないが檀家さんの希望で安置したもので・・・とのこと。結局よく分りませんでしたwww』


増上寺芝山内の子院めぐり・・・完
住所:東京都港区東麻布1-1-5
電話:03-3583-4766
2012年5月11日投稿