関口芭蕉庵/水神社 @東京都文京区
2021年1月10日(日)
東京カテドラル聖マリア大聖堂・カトリック関口教会の見学を終え、胸突坂を下って行くと関口芭蕉庵と水神社があったので立ち寄りました。
関口芭蕉庵は、説明板によると
この地は、江戸前期の俳人松尾芭蕉が、延宝5年(1677年)から延宝8年(1680年)まで、神田川改修工事に参画し「龍隠庵(りゅうげあん)と呼ばれる庵に住んだと伝えられている。後に世人は「関口芭蕉庵」と呼んだ。
享保11年(1726年)、芭蕉の33回忌に当たり、芭蕉の木像を祀る芭蕉堂が建てられた。その後、去来(きょらい)・其角(きかく)・嵐雪(らんせつ)・丈草(じょうそう)の像も堂に安置された。
芭蕉は、早稲田田んぼを琵琶湖に見立て、その風光を愛したと言われている。そこで、寛延3年(1750年)宗瑞(そうずい)・馬光(ばこう)らの俳人が、芭蕉の真筆「五月雨にかくれぬものや瀬田の橋」の短冊を埋めて墓とした。この墓を「さみだれ塚」と称した。塚は芭蕉堂の近くにある。
芭蕉庵の建物は、昭和12年(1937年)3月、近火で類焼したが、同年8月再建された。しかし、昭和20年(1945年)5月の戦災で焼失した。
敷地内には、芭蕉堂・さみだれ塚・朱楽菅江(あけらかんこう)歌碑・伊藤松宇(しょうう)の句碑などがあり、往時をしのぶことができる。
なのだそうです。
水神社は、由緒書きによると
創建の年代は明かでない。
『江戸砂子』に、「上水開けてより関口水門の守護神なり。」とある。
わが国最古の神田上水は、徳川家康の命により、大久保主水が開いた。井頭池からの流れを、目白台下の現大滝橋のあたりに、堰(大洗堰)を築き、水位をあげて上水を神田、日本橋方面に通じた。
伝えによれば、水神が八幡宮社司の夢枕に立ち、「我水伯(水神)なり、我をこの地に祀らば堰の守護神となり、村民を始め江戸町ことごとく安泰なり」と告げたのでここに水神を祭ったという。
上水の恩恵にあずかった神田、日本橋方面の人たちの参詣が多かったといわれる。また、このあたりは田園地帯で、清らかな神田上水が流れ、前には早稲田田んぼが広がり、後には目白台の椿山を控え、西には富士の姿も美しく眺められて、江戸時代は行楽の地であった。
なのだそうです。
御祭神は、速秋津彦命、速秋津姫命、応神天皇です。
【胸突坂】

【胸突坂説明板】

【胸突坂途中にある門】
『この門から芭蕉庵に入ります』

【正門】

【関口芭蕉庵説明板】

【関口芭蕉庵案内図】

【芭蕉庵】


【范石湖の譜碑】

【夜寒碑】

【瓢箪池】

【さみだれ塚】

『きれいに整備されている感じではないですが、コンパクトな敷地に緑が豊かです(^^)』

【芭蕉句碑】
『誰もが知っている「古池や蛙飛びこむ水の音」です』

【伊藤松宇句碑】

『芭蕉庵に戻って来ました』


『続いて水神社です。関口芭蕉庵の隣にあります』

【水神社鳥居】

【鳥居再建記念説明板】

『立派ないちょうです。葉が茂っていたら壮観でしょうね』

【水神社】

【扁額】

【地図】
関口芭蕉庵
住所:東京都文京区関口2-11-3
電話:03-3941-1145
ホームページ:https://www.city.bunkyo.lg.jp/bunka/kanko/spot/shiseki/bashoan.html(文京区)
水神社
住所:東京都文京区目白台1-1-9
2023年5月16日投稿
東京カテドラル聖マリア大聖堂・カトリック関口教会の見学を終え、胸突坂を下って行くと関口芭蕉庵と水神社があったので立ち寄りました。
関口芭蕉庵は、説明板によると
この地は、江戸前期の俳人松尾芭蕉が、延宝5年(1677年)から延宝8年(1680年)まで、神田川改修工事に参画し「龍隠庵(りゅうげあん)と呼ばれる庵に住んだと伝えられている。後に世人は「関口芭蕉庵」と呼んだ。
享保11年(1726年)、芭蕉の33回忌に当たり、芭蕉の木像を祀る芭蕉堂が建てられた。その後、去来(きょらい)・其角(きかく)・嵐雪(らんせつ)・丈草(じょうそう)の像も堂に安置された。
芭蕉は、早稲田田んぼを琵琶湖に見立て、その風光を愛したと言われている。そこで、寛延3年(1750年)宗瑞(そうずい)・馬光(ばこう)らの俳人が、芭蕉の真筆「五月雨にかくれぬものや瀬田の橋」の短冊を埋めて墓とした。この墓を「さみだれ塚」と称した。塚は芭蕉堂の近くにある。
芭蕉庵の建物は、昭和12年(1937年)3月、近火で類焼したが、同年8月再建された。しかし、昭和20年(1945年)5月の戦災で焼失した。
敷地内には、芭蕉堂・さみだれ塚・朱楽菅江(あけらかんこう)歌碑・伊藤松宇(しょうう)の句碑などがあり、往時をしのぶことができる。
なのだそうです。
水神社は、由緒書きによると
創建の年代は明かでない。
『江戸砂子』に、「上水開けてより関口水門の守護神なり。」とある。
わが国最古の神田上水は、徳川家康の命により、大久保主水が開いた。井頭池からの流れを、目白台下の現大滝橋のあたりに、堰(大洗堰)を築き、水位をあげて上水を神田、日本橋方面に通じた。
伝えによれば、水神が八幡宮社司の夢枕に立ち、「我水伯(水神)なり、我をこの地に祀らば堰の守護神となり、村民を始め江戸町ことごとく安泰なり」と告げたのでここに水神を祭ったという。
上水の恩恵にあずかった神田、日本橋方面の人たちの参詣が多かったといわれる。また、このあたりは田園地帯で、清らかな神田上水が流れ、前には早稲田田んぼが広がり、後には目白台の椿山を控え、西には富士の姿も美しく眺められて、江戸時代は行楽の地であった。
なのだそうです。
御祭神は、速秋津彦命、速秋津姫命、応神天皇です。
【胸突坂】

【胸突坂説明板】

【胸突坂途中にある門】
『この門から芭蕉庵に入ります』

【正門】

【関口芭蕉庵説明板】

【関口芭蕉庵案内図】

【芭蕉庵】


【范石湖の譜碑】

【夜寒碑】

【瓢箪池】

【さみだれ塚】

『きれいに整備されている感じではないですが、コンパクトな敷地に緑が豊かです(^^)』

【芭蕉句碑】
『誰もが知っている「古池や蛙飛びこむ水の音」です』

【伊藤松宇句碑】

『芭蕉庵に戻って来ました』


『続いて水神社です。関口芭蕉庵の隣にあります』

【水神社鳥居】

【鳥居再建記念説明板】

『立派ないちょうです。葉が茂っていたら壮観でしょうね』

【水神社】

【扁額】

【地図】
関口芭蕉庵
住所:東京都文京区関口2-11-3
電話:03-3941-1145
ホームページ:https://www.city.bunkyo.lg.jp/bunka/kanko/spot/shiseki/bashoan.html(文京区)
水神社
住所:東京都文京区目白台1-1-9
2023年5月16日投稿