越生子ノ権現/越生神社 @埼玉県入間郡越生町
2020年4月9日(木)
法恩寺の見学を終え、越生子ノ権現(ねのごんげん)、越生神社にやって来ました。
越生子ノ権現は越生神社の境内にあります。
由緒書きによると、越生子ノ権現は
飯能市の子ノ権現(天龍寺)は、足腰の病に験のある神仏として各地に勧請されている。
越生に子ノ権現が祀られたのは古く、鎌倉時代以前と推測される。『法恩寺年譜』文治4年(1188年)の条、越生氏一族・倉田孫四郎の妻・妙泉尼に関わる記事に「子権現」という言葉が出てくる。また、大字上野との境には「子の神」という地名が残っている。
この地に社が建立された年代は不明であるが、文化4年(1804年)に、越生村の新井源四郎が再建したという記録が残る。
「ひじりだいごんげん」として越生の人々の信仰を受けていたが、越生神社の創建後はその境内に取り込まれ、その後には日吉神社に合祀され、社を失った。しかし、地元の熱意により、平成27年10月18日、遷座祭を行い、旧観を取り戻した。
なのだそうです。
由緒書きによると、越生神社は
越生神社は明治42年(1909年)に、神社合祀令を受けて、琴平神社に、旧越生村村社八幡神社、日吉神社、八坂神社、旧黒岩村村社の八坂神社、ほか市街地に点在していた稲荷社を合祀して造営された神社である。
7月下旬に催される「越生まつり」は、牛頭天王を祀る八坂神社の祭典、祇園祭(天王様)の系譜を引いている。神社を出立した神輿が町内を渡御し、夕刻から曳行される6台の山車の上では、神田囃子の流れを汲む囃子の競演が繰り広げられ、華やかな江戸天下祭の名残を今に伝えている。
越生神社の奥宮がある高取山には中世の山城跡がある。標高約170mの頂上が平らに削られ、空堀と土塁で画された郭(曲輪)が数段残されている。江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』には「越生四郎左衛門屋敷跡」と記されている。越生四郎左衛門は『太平記』に登場する、南朝の北畠顕家を討ち取った武将である。越生神社下方の平坦地付近と推定されている越生氏館背後の高取山に築かれた「物見砦」や「詰城」であった可能性がある。一方、現存する遺構は室町期後半から戦国期のものであり、太田道真・道灌父子と長尾景春の戦いを中心とした時期のものとみる見解もある。
なのだそうです。
御祭神は大物主命、誉田別命、大山咋命、素盞嗚命、倉稲魂命です。
『正法寺に向かいます』

『途中に越生子ノ権現と越生神社があります』


【社号標】

『越生神社一の鳥居手前を右折すると・・・』

『越生子ノ権現があります』

【越生子ノ権現】

『子ノ権現から奥に進むと越生神社です』

【越生子ノ権現由緒】


【越生神社二の鳥居】

『年季が入った建物です』

『社務所、授与所らしき建物があります』



『厳かな雰囲気が漂います』

【石灯籠】

【狛犬・手水舎】

【越生神社】

【越生神社・日吉神社】

【日吉神社】

【神輿庫】
『越生町指定有形民俗文化財の越生神社神輿3基が保管されています』

【越生神社神輿説明板】


『越生神社の左側に稲荷神社があります』


【稲荷神社】

【地図】
住所:埼玉県入間郡越生町越生1015
電話:049-292-3919(春日神社)
2022年7月24日投稿
法恩寺の見学を終え、越生子ノ権現(ねのごんげん)、越生神社にやって来ました。
越生子ノ権現は越生神社の境内にあります。
由緒書きによると、越生子ノ権現は
飯能市の子ノ権現(天龍寺)は、足腰の病に験のある神仏として各地に勧請されている。
越生に子ノ権現が祀られたのは古く、鎌倉時代以前と推測される。『法恩寺年譜』文治4年(1188年)の条、越生氏一族・倉田孫四郎の妻・妙泉尼に関わる記事に「子権現」という言葉が出てくる。また、大字上野との境には「子の神」という地名が残っている。
この地に社が建立された年代は不明であるが、文化4年(1804年)に、越生村の新井源四郎が再建したという記録が残る。
「ひじりだいごんげん」として越生の人々の信仰を受けていたが、越生神社の創建後はその境内に取り込まれ、その後には日吉神社に合祀され、社を失った。しかし、地元の熱意により、平成27年10月18日、遷座祭を行い、旧観を取り戻した。
なのだそうです。
由緒書きによると、越生神社は
越生神社は明治42年(1909年)に、神社合祀令を受けて、琴平神社に、旧越生村村社八幡神社、日吉神社、八坂神社、旧黒岩村村社の八坂神社、ほか市街地に点在していた稲荷社を合祀して造営された神社である。
7月下旬に催される「越生まつり」は、牛頭天王を祀る八坂神社の祭典、祇園祭(天王様)の系譜を引いている。神社を出立した神輿が町内を渡御し、夕刻から曳行される6台の山車の上では、神田囃子の流れを汲む囃子の競演が繰り広げられ、華やかな江戸天下祭の名残を今に伝えている。
越生神社の奥宮がある高取山には中世の山城跡がある。標高約170mの頂上が平らに削られ、空堀と土塁で画された郭(曲輪)が数段残されている。江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』には「越生四郎左衛門屋敷跡」と記されている。越生四郎左衛門は『太平記』に登場する、南朝の北畠顕家を討ち取った武将である。越生神社下方の平坦地付近と推定されている越生氏館背後の高取山に築かれた「物見砦」や「詰城」であった可能性がある。一方、現存する遺構は室町期後半から戦国期のものであり、太田道真・道灌父子と長尾景春の戦いを中心とした時期のものとみる見解もある。
なのだそうです。
御祭神は大物主命、誉田別命、大山咋命、素盞嗚命、倉稲魂命です。
『正法寺に向かいます』

『途中に越生子ノ権現と越生神社があります』


【社号標】

『越生神社一の鳥居手前を右折すると・・・』

『越生子ノ権現があります』

【越生子ノ権現】

『子ノ権現から奥に進むと越生神社です』

【越生子ノ権現由緒】


【越生神社二の鳥居】

『年季が入った建物です』

『社務所、授与所らしき建物があります』



『厳かな雰囲気が漂います』

【石灯籠】

【狛犬・手水舎】

【越生神社】

【越生神社・日吉神社】

【日吉神社】

【神輿庫】
『越生町指定有形民俗文化財の越生神社神輿3基が保管されています』

【越生神社神輿説明板】


『越生神社の左側に稲荷神社があります』


【稲荷神社】

【地図】
住所:埼玉県入間郡越生町越生1015
電話:049-292-3919(春日神社)
2022年7月24日投稿