千住大橋/橋詰テラス @東京都荒川区、足立区
2019年12月28日(土)
素盞雄神社の見学を終え、千住大橋、橋詰テラスにやって来ました。
説明板によると、千住大橋は
文禄3年(1594年)、徳川家康が江戸に入った後、隅田川に初めて架けた橋。架橋工事は伊奈備前守忠次が奉行を務めたが、工事は困難を極めた。忠次が熊野神社(南千住6丁目)に祈願したところ、工事は成就し、以来橋の造営の度に残材で社殿の修理を行うことが慣例となったと伝えられる。また、この架橋を機に、江戸中期まで行われていた小塚原天王社(現素盞雄神社)天王祭の神事「千住大橋綱引」が始まったという。当初は今より、200m程上流に架けられた。単に「大橋」と呼ばれたが、下流にも架橋されると「千住大橋」と称されるようになったと伝えられている。
千住大橋は、日光道中初宿、千住宿の南(荒川区)と北(足立区)とを結び、また、江戸の出入口として位置付けられ、多くの旅人が行き交った。旅を愛した松尾芭蕉もここから奥の細道へと旅立ち、真山青果の戯曲「将軍江戸を去る」では、最後の将軍徳川慶喜の水戸への旅立ちの舞台として表現されている。
現在の鋼橋は、昭和2年(1927年)、日本を代表する橋梁技術者増田淳の設計により架け替えられた。ブレースドリブ・タイドアーチ橋の現存する最古の例である。「大橋」をブレードは、400年にわたる千住大橋の歴史を伝えている。
なのだそうです。
『素盞雄神社から国道4号線を北方面へ200m程進むと千住大橋があります』

【千住大橋】
『隅田川に架かっています。南詰が荒川区、北詰が足立区です』

【南詰】
『荒川区側です』

【千住大橋説明板】

『北詰(足立区)に渡ります』

【北詰】
『足立区側です』

『北詰隣に大橋公園があります』

『大橋公園の入口に「奥の細道 矢立初めの地碑」が立っています』

『周辺には松尾芭蕉の句碑や像が点在します』

【芭蕉が千住で詠んだ俳句】

【大橋公園】

『おくのほそ道の千住で書かれた原文が刻まれています』


『塀を越えると橋詰テラスです』

【隅田川】
『千住大橋から上流の景色です。川沿いに遊歩道があります。グーグルマップを見ていて今更気付いたことがあります。地元を流れる新河岸川と荒川の分流が8km程上流で合流し隅田川になるんですね。恥ずかしながら知りませんでした\(//∇//)\自宅からすごく離れていると思っていた隅田川が地元の新河岸川と一筋の流れで繋がっていることを知り、親近感が湧きました(^^)』

『千住大橋や隅田川に関する説明書きがたくさん掲示されています』



『左は葛飾北斎の作品、右は初代歌川広重の作品です』

【河番付】
『川の長さの番付ではなさそうです。美しさでしょうか?』

【橋番付】
『江戸両国橋九十六間などと書かれているので、これは橋の長さ順だと思います』

『大橋の方に向かいます』

『これは水道管でしょうか』

『深川から隅田川を船で遡上、千住で下船し、奥の細道スタートです!』

『千住大橋の下をくぐることが出来ます』

【千住小橋】
『大橋の下流側に御上り場があります』

『3個のブイが浮いています』

【水面に浮ぶ三個のブイの謎】
『へ~引き抜かれて彫刻になった橋杭もあれば、水中に残っている橋杭もあるんですね。しかし、いくら腐食に強いとされる高野槙とはいえ、何十年も水に浸かっている上に流れがある川なので朽ち果てて、大雨で水流が早くなった時にポキッと折れて流されてしまうのではないかと余計な心配をするのは僕だけでしょうか?』

【千住大橋から下流の景色】
『歴史ある場所のすぐ近くに近代的なタワマンが建ち並びます。歴史あるものと最新のものが混在するこのギャップの激しさが僕にとっては東京観光の面白さの一つです(^^)』

【千住大橋際御上り場】

【嘉永元年(1848年)千住大橋之図】

『御上り場とは、将軍家、日光門主など高貴な人々が利用していた湊です』

【旧記・天保13年(1842年)仙台藩13代藩主伊達慶邦の大名行列】



【地図】
住所:(北詰)東京都足立区千住橋戸町 (南詰)東京都荒川区南千住6丁目、7丁目
2022年4月14日投稿
素盞雄神社の見学を終え、千住大橋、橋詰テラスにやって来ました。
説明板によると、千住大橋は
文禄3年(1594年)、徳川家康が江戸に入った後、隅田川に初めて架けた橋。架橋工事は伊奈備前守忠次が奉行を務めたが、工事は困難を極めた。忠次が熊野神社(南千住6丁目)に祈願したところ、工事は成就し、以来橋の造営の度に残材で社殿の修理を行うことが慣例となったと伝えられる。また、この架橋を機に、江戸中期まで行われていた小塚原天王社(現素盞雄神社)天王祭の神事「千住大橋綱引」が始まったという。当初は今より、200m程上流に架けられた。単に「大橋」と呼ばれたが、下流にも架橋されると「千住大橋」と称されるようになったと伝えられている。
千住大橋は、日光道中初宿、千住宿の南(荒川区)と北(足立区)とを結び、また、江戸の出入口として位置付けられ、多くの旅人が行き交った。旅を愛した松尾芭蕉もここから奥の細道へと旅立ち、真山青果の戯曲「将軍江戸を去る」では、最後の将軍徳川慶喜の水戸への旅立ちの舞台として表現されている。
現在の鋼橋は、昭和2年(1927年)、日本を代表する橋梁技術者増田淳の設計により架け替えられた。ブレースドリブ・タイドアーチ橋の現存する最古の例である。「大橋」をブレードは、400年にわたる千住大橋の歴史を伝えている。
なのだそうです。
『素盞雄神社から国道4号線を北方面へ200m程進むと千住大橋があります』

【千住大橋】
『隅田川に架かっています。南詰が荒川区、北詰が足立区です』

【南詰】
『荒川区側です』

【千住大橋説明板】

『北詰(足立区)に渡ります』

【北詰】
『足立区側です』

『北詰隣に大橋公園があります』

『大橋公園の入口に「奥の細道 矢立初めの地碑」が立っています』

『周辺には松尾芭蕉の句碑や像が点在します』

【芭蕉が千住で詠んだ俳句】

【大橋公園】

『おくのほそ道の千住で書かれた原文が刻まれています』


『塀を越えると橋詰テラスです』

【隅田川】
『千住大橋から上流の景色です。川沿いに遊歩道があります。グーグルマップを見ていて今更気付いたことがあります。地元を流れる新河岸川と荒川の分流が8km程上流で合流し隅田川になるんですね。恥ずかしながら知りませんでした\(//∇//)\自宅からすごく離れていると思っていた隅田川が地元の新河岸川と一筋の流れで繋がっていることを知り、親近感が湧きました(^^)』

『千住大橋や隅田川に関する説明書きがたくさん掲示されています』



『左は葛飾北斎の作品、右は初代歌川広重の作品です』

【河番付】
『川の長さの番付ではなさそうです。美しさでしょうか?』

【橋番付】
『江戸両国橋九十六間などと書かれているので、これは橋の長さ順だと思います』

『大橋の方に向かいます』

『これは水道管でしょうか』

『深川から隅田川を船で遡上、千住で下船し、奥の細道スタートです!』

『千住大橋の下をくぐることが出来ます』

【千住小橋】
『大橋の下流側に御上り場があります』

『3個のブイが浮いています』

【水面に浮ぶ三個のブイの謎】
『へ~引き抜かれて彫刻になった橋杭もあれば、水中に残っている橋杭もあるんですね。しかし、いくら腐食に強いとされる高野槙とはいえ、何十年も水に浸かっている上に流れがある川なので朽ち果てて、大雨で水流が早くなった時にポキッと折れて流されてしまうのではないかと余計な心配をするのは僕だけでしょうか?』

【千住大橋から下流の景色】
『歴史ある場所のすぐ近くに近代的なタワマンが建ち並びます。歴史あるものと最新のものが混在するこのギャップの激しさが僕にとっては東京観光の面白さの一つです(^^)』

【千住大橋際御上り場】

【嘉永元年(1848年)千住大橋之図】

『御上り場とは、将軍家、日光門主など高貴な人々が利用していた湊です』

【旧記・天保13年(1842年)仙台藩13代藩主伊達慶邦の大名行列】



【地図】
住所:(北詰)東京都足立区千住橋戸町 (南詰)東京都荒川区南千住6丁目、7丁目
2022年4月14日投稿