水子貝塚公園 @埼玉県富士見市
2011年12月18日(日)
今日は水子貝塚周辺を散策してきました。まずは水子貝塚公園です。
富士見市は、関東平野の一角にあります。関東平野は富士山などの火山灰が堆積してできた関東ローム層の台地と利根川や荒川などの大きな川が流れる低地からなります。富士見市は荒川低地の上に広がっており、この低地に縄文時代は海が広がっていました(縄文海進)。海の幸を求めて集まった人々は台地の上に多くの貝塚を残しました。その中でも最も大規模なものが水子貝塚です。
水子貝塚は、昭和12年(1937年)に発見され、昭和13年(1938年)・14年(1939年)・42年(1967年)の3回の調査により縄文時代前期中頃(約5500年前)の小貝塚が多数環状に分布していることや、小貝塚は竪穴住居の跡に貝殻が捨てられたものであることなどが明らかになりました。
これらの成果から、昭和44年(1969年)に「縄文時代前期の多くの小貝塚からなる大規模な貝塚群のひとつであるとともに、小貝塚の分布から貝塚形成当時の集落の規模形態を推測しうる遺跡の遺在状況も良好である」として、国の史跡に指定されました。
昭和45年(1970年)から、23年の年月をかけ指定地の公有化を進めました。平成3年(1991年)には、史蹟等活用特別事業(「ふるさと歴史の広場」事業)に採択され、国と埼玉県の補助金の交付を受け整備事業を開始し、平成6年6月1日に水子貝塚公園(愛称「縄文ふれあい広場」)として一般公開されました。
この場所が「ここ」、その場所が「そこ」という具合に「こ」という言葉には「場所」という意味があります。「水子(みずこ)」という地名には「水が有る所」という意味が含まれています。その名に違わず、富士見市水子地区には多くの湧き水がありました。この湧き水に引かれて、古くから人々が集まって多くの遺跡を残し、現代まで多くの村が作られ続けました。それらのうちの一つが「水子貝塚」です。水子貝塚には今から約5500年前、縄文時代前期と呼ばれる時期の貝塚を中心に、旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代、平安時代など、多くの時代の活動の跡が残されています。
敷地面積は39,347㎡で、中央に芝生の広場が広がり、その周りを遊歩道(全長582m)が巡り、外側に縄文の森が復元されています。
公園内には、市内の遺跡から出土した考古資料を中心に展示している「水子貝塚資料館」や、水子貝塚の発掘調査の状況を再現した「水子貝塚展示館」があります。
【水子貝塚公園】国指定史跡

『公園南側から入園しました。南側入口の直ぐ左手に展望塔があります』

【展望塔からの眺め】

『公園中央の芝生広場に5棟の竪穴式住居が復原されています』




『1棟は内部の様子が再現されています』



『上空に不思議な雲を見つけ、思わずパシャ!』

『白くマークされている場所が貝塚が発見された場所です』


『縄文海進時代の東京湾の様子が描かれています』


【説明板】



【北側入口】


【富士見市立水子貝塚資料館】
『北側入口を入り、すぐ左手にあります』




【羽沢遺跡出土縄文土器】埼玉県指定有形文化財




【北通遺跡第8号方形周溝墓出土遺物】富士見市指定有形文化財


【縄文体験コーナー】

【水子貝塚展示館】
『水子貝塚資料館の右にあります』

【説明板】

【発掘調査状況再現模型】
『スクリーンでは、水子貝塚の概要が説明されていました』


【貝層断面】
『15号住居跡の貝層調査の際、北東に面する断面を接状剥離したものだそうです』


【縄文海進時代の水子地区の様子を表したジオラマ】

『展示館で貝塚から発掘された貝殻(ヤマトシジミ)を頂きました』

水子貝塚資料館・展示館
住所:埼玉県富士見市水子2003-1
電話:049-251-9686
ホームページ:http://www.city.fujimi.saitama.jp/30shisetsu/10mizuko/
開館時間:午前9時~午後5時
休館日:毎週月曜日(祝日を除く)
祝日の翌日(土曜・日曜、祝日の場合は開館)
年末年始(12/27~1/5)
入園料・入館料:無料
駐車場:無料(48台)
2012年2月16日投稿
今日は水子貝塚周辺を散策してきました。まずは水子貝塚公園です。
富士見市は、関東平野の一角にあります。関東平野は富士山などの火山灰が堆積してできた関東ローム層の台地と利根川や荒川などの大きな川が流れる低地からなります。富士見市は荒川低地の上に広がっており、この低地に縄文時代は海が広がっていました(縄文海進)。海の幸を求めて集まった人々は台地の上に多くの貝塚を残しました。その中でも最も大規模なものが水子貝塚です。
水子貝塚は、昭和12年(1937年)に発見され、昭和13年(1938年)・14年(1939年)・42年(1967年)の3回の調査により縄文時代前期中頃(約5500年前)の小貝塚が多数環状に分布していることや、小貝塚は竪穴住居の跡に貝殻が捨てられたものであることなどが明らかになりました。
これらの成果から、昭和44年(1969年)に「縄文時代前期の多くの小貝塚からなる大規模な貝塚群のひとつであるとともに、小貝塚の分布から貝塚形成当時の集落の規模形態を推測しうる遺跡の遺在状況も良好である」として、国の史跡に指定されました。
昭和45年(1970年)から、23年の年月をかけ指定地の公有化を進めました。平成3年(1991年)には、史蹟等活用特別事業(「ふるさと歴史の広場」事業)に採択され、国と埼玉県の補助金の交付を受け整備事業を開始し、平成6年6月1日に水子貝塚公園(愛称「縄文ふれあい広場」)として一般公開されました。
この場所が「ここ」、その場所が「そこ」という具合に「こ」という言葉には「場所」という意味があります。「水子(みずこ)」という地名には「水が有る所」という意味が含まれています。その名に違わず、富士見市水子地区には多くの湧き水がありました。この湧き水に引かれて、古くから人々が集まって多くの遺跡を残し、現代まで多くの村が作られ続けました。それらのうちの一つが「水子貝塚」です。水子貝塚には今から約5500年前、縄文時代前期と呼ばれる時期の貝塚を中心に、旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代、平安時代など、多くの時代の活動の跡が残されています。
敷地面積は39,347㎡で、中央に芝生の広場が広がり、その周りを遊歩道(全長582m)が巡り、外側に縄文の森が復元されています。
公園内には、市内の遺跡から出土した考古資料を中心に展示している「水子貝塚資料館」や、水子貝塚の発掘調査の状況を再現した「水子貝塚展示館」があります。
【水子貝塚公園】国指定史跡

『公園南側から入園しました。南側入口の直ぐ左手に展望塔があります』

【展望塔からの眺め】

『公園中央の芝生広場に5棟の竪穴式住居が復原されています』




『1棟は内部の様子が再現されています』



『上空に不思議な雲を見つけ、思わずパシャ!』

『白くマークされている場所が貝塚が発見された場所です』


『縄文海進時代の東京湾の様子が描かれています』


【説明板】



【北側入口】


【富士見市立水子貝塚資料館】
『北側入口を入り、すぐ左手にあります』




【羽沢遺跡出土縄文土器】埼玉県指定有形文化財




【北通遺跡第8号方形周溝墓出土遺物】富士見市指定有形文化財


【縄文体験コーナー】

【水子貝塚展示館】
『水子貝塚資料館の右にあります』

【説明板】

【発掘調査状況再現模型】
『スクリーンでは、水子貝塚の概要が説明されていました』


【貝層断面】
『15号住居跡の貝層調査の際、北東に面する断面を接状剥離したものだそうです』


【縄文海進時代の水子地区の様子を表したジオラマ】

『展示館で貝塚から発掘された貝殻(ヤマトシジミ)を頂きました』

水子貝塚資料館・展示館
住所:埼玉県富士見市水子2003-1
電話:049-251-9686
ホームページ:http://www.city.fujimi.saitama.jp/30shisetsu/10mizuko/
開館時間:午前9時~午後5時
休館日:毎週月曜日(祝日を除く)
祝日の翌日(土曜・日曜、祝日の場合は開館)
年末年始(12/27~1/5)
入園料・入館料:無料
駐車場:無料(48台)
2012年2月16日投稿