さきたま古墳公園《さきたま風土記の丘》/さきたま史跡の博物館 @埼玉県行田市
2011年9月15日(木)
ランチの後、埼玉(さきたま)古墳群を見に、さきたま古墳公園《さきたま風土記の丘》に行きました。
行田市には埼玉古墳群をはじめとし10もの古墳群があり、150基以上の古墳があります。
埼玉古墳群は県名発祥の地である行田市埼玉(さきたま)周辺に広がる、5世紀末から7世紀にかけて築かれた、国内でも有数の規模を誇る古墳群です。9基の大型古墳が群集する中心部分が「さきたま風土記の丘」として整備されていて、ゆったりと古墳見学することができます。5世紀末頃に稲荷山古墳が築かれたことを皮切りに、埼玉古墳群は築かれ始めましたが、6世紀後半になると真名坂高山古墳、小見真観寺古墳など100m級の大型前方後円墳が周辺地域で築かれるようになり、埼玉古墳群の古墳は規模が小さくなっていきます。7世紀に入ると若小玉古墳群ではより大型の八幡山古墳が築かれました。その後埼玉古墳群は衰え、若小玉古墳群では7世紀後半の地蔵塚古墳まで古墳が築かれ続けたのだそうです。
埼玉古墳群は国指定史跡になっており、現在世界遺産登録運動を積極的に展開しています。
公園敷地内には埼玉県立さきたま史跡の博物館もあり、稲荷山古墳から出土した国宝「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」など埼玉古墳群の出土品が多数展示されています。また分館の将軍山古墳展示館では実物の横穴式石室を建物の中から直接見ることができます。
僕は公園北側の丸墓山古墳から見学をスタートしたのですが、稲荷山古墳、将軍山古墳(展示館含む)、二子山古墳、愛宕山古墳と公園北側を巡るのに約1時間かかりました。今日は晴天で気温が高く、かなり汗をかき、喉も渇きました。水を飲もうと鞄に手を突っ込むも、ペットボトルの感触がなく、車に忘れてきたことを稲荷山古墳の辺りで気付きました(TT)時すでに遅し・・・稲荷山古墳は公園の一番北側にあり、公園中央の駐車場近くのお店まで戻るのが面倒だったので我慢することにしました。公園内に他に売店はありませんので暑い時期に行かれる方は熱中症対策(帽子、水、木陰での小休止など)をきちんとされることをお勧めいたします。僕はどうにかお店までたどり着き、水分補給、休憩をし、公園南側の散策を続けましたが、帰宅後、軽い頭痛がしていたのはその影響かもしれませんw 炎天下での散策は十分に気を付けましょう(^^;
【さきたま古墳公園《さきたま風土記の丘》】

『現在地から見て地図の上方面がほぼ北、下が南になります。これから丸墓山古墳、稲荷山古墳、将軍山古墳、二子山古墳、愛宕山古墳、瓦塚古墳、奥の山古墳、中の山古墳、鉄砲山古墳の順に巡っていきます』

『駐車場から丸墓山古墳に向かって行くと左に蓮の池があります。直径50cm程ある大きな葉ですね~(*_*)』


『あずまやがありました』

『いま見たあずまやを通り過ぎると「石田堤」です。1590年石田三成が忍城を水攻めにした時に築いた堤防の跡と言われています。水攻めの際には、丸墓山古墳の頂上に陣が張られたそうです』

『石田堤の途中に立っていました』

【丸墓山古墳(まるはかやまこふん)】
『直径105mあり円墳では日本最大です。墳丘は約19mあり埼玉古墳群の中で一番の高さがあります。6世紀前半に築かれたと推定されています』


『なかなかしんどい階段です(>_<)でも空が真っ青で綺麗ですね^^』

『頂上に到着です。ここに石田三成は陣を張ったんですね。古墳自体もすごいですが、歴史上の人物が立った場所だと思うとなお感動します(^o^)』


『丸墓山古墳から東の眺め。左に稲荷山古墳、右奥に将軍山古墳が望めます』

『丸墓山古墳から望む稲荷山古墳』

『稲荷山古墳の奥に古代蓮の里の展望タワーが見えますね』

『丸墓山から望む将軍山古墳』

『さっき登って来た階段の反対側の階段を降りました。裏側(北側)から見る丸墓山古墳。あっ!表裏と言う表現は適切ではないかもしれませんねw 駐車場側から見た裏っていうことで・・・』

【稲荷山古墳(いなりやまこふん)】
『全長120mの前方後円墳です。5世紀後半に造られたと考えられ、埼玉古墳群では最初に造られた古墳です。前方部は昭和12年(1937年)に土取り工事で失われましたが、平成16年(2004年)に復元されました。昭和43年(1968年)に発掘調査が行われ、後円部から二つの埋葬施設が発見され、金錯銘鉄剣、帯金具、まが玉、鏡など多くの埋葬品が出土しました。これらは昭和58年(1983年)に一括して国宝に指定されました』

『壊されなかった後円部』

『後円墳の頂上には埋葬施設が復元されています』


『復元された前方部』

『前方部から見た後円墳』

【将軍山古墳(しゅうぐんやまこふん)】
『全長90m、後円部の直径39m、前方部の幅68mの前方後円墳です。造られた年代は6世紀後半と推定されます。明治27年(1894年)に地元の人々により発掘調査が行われ、横穴式石室から銅椀、環頭大刀(かんとうのたち)、鉄矛、馬具など多数の副葬品が出土しました。平成3年度から8年度にかけ文化庁の協力を得て、墳丘・堀の発掘調査及び復原、石室の保存施設の建設などの整備を行い、実物の横穴式石室を建物の中から見学できる将軍山古墳展示館を設置しています』

『綺麗に整備された公園内です。でも今日は暑いですな~(-_-;)冒頭にも書きましたが、ペットボトルの水を車に忘れたので喉が渇いて仕方がないです・・・』


『将軍山古墳展示館の案内板がありました。さっき写真を撮った側(西側)の裏側(東側)にあります。古墳を回り込むのって結構大変です(T-T)しつこいですが、しかも今日は暑いので、距離はそれほど歩いていなくても、古墳を登ったり、降りたりしていると結構体力を消耗します(><)パスしてしまおうかという考えが一瞬頭をよぎりましたが、折角来たのだから、ちゃんと見ていこうと気を取り直し行ってみることに。館内は冷房が効いているでしょうから一息つけるでしょう^^』

【将軍山古墳展示館】

『大人は200円です。展示内容が少ないのでこれだけで200円だったら高いなぁと思うところですが、さきたま史蹟の博物館との共通チケットなので納得しました』

【古墳の断面】
『露出していた将軍山古墳の墳丘の断面を剥ぎ取ったものです』

【埴輪】
『将軍山古墳からは円筒埴輪が多く出土したそうです』

【横穴式石室】
『保存された実物の石室に遺構模型が配置されています』



【二子山古墳(ふたごやまこふん)】
『全長138mの前方後円墳です。かつての「武蔵国」(埼玉県、東京都、神奈川県の一部)で最大の古墳です。造られた時期は6世紀初め頃と推定されています。本格的な発掘調査がされていないため、埋葬施設などの詳細は分っていないそうです』

『水堀がありますが、築造された当時は水はなかったと考えられています』

『形がまさに双子ですw』

【愛宕山古墳(あたごやまこふん)】
『全長53で埼玉古墳群の中では一番小さい前方後円墳です。造られた時期は6世紀前半と推定されています。墳丘内部は未調査であるため、詳細は分っていないそうです。木が生い茂っているので、言われないと古墳と分らないかもしれません。ここは僕が公園巡りをスタートした地点のすぐ横にあるのですが、最初気付かず、園内地図を見ながら回って来たら、あれっ!こんなところにあったんだって感じですw』


『埼玉古墳群巡り公園北側の前半が終了しました。約1時間です。駐車場の近く、公園中央にあるお土産屋「さかもと」でお茶を買い休憩です。500mlのペットボトルのお茶を一気飲みですw フー落ち着きました(^o ^y~ 携帯用にもう一本買って、いざ南側へ出発!の前に、おっ!このお店に行田名物ゼリーフライがあるようです。食べたことがないので見学終了後、再び寄ってみることにしました』


【瓦塚古墳(かわらづかこふん)】
『全長73mの前方後円墳です。造られた時期は6世紀前半から中頃と推定されています。墳丘内部は未調査であるため詳細は分っていないそうです』

【埼玉県名発祥之碑】
『由来を読むと推測も入っているんですね』


【旧遠藤家住宅】
『移築された民家がありました。旧遠藤家住宅は幸手市にあった稲作農家で江戸時代の終わり頃に建てられたものです』


【旧山崎家住宅】
『旧山崎家住宅は行田市にあった稲作農家で明治時代始め頃に建てられたものです』


『地震の被害を受け、内部の公開が中止されていました』

【奥の山古墳(おくのやまこふん)】
『全長66mの前方後円墳です。造られた時期は6世紀中頃と推定されています』


【中の山古墳(なかのやまこふん)】
『全長79mの前方後円墳です。造られた時期は6世紀末から7世紀初めと推定されています』

【鉄砲山古墳(てっぽうやまこふん)】
『全長112mの前方後円墳です。造られたのは6世紀後半と推定されています。名称は江戸時代に忍藩が砲術練習場としていたことに由来するそうです』


【さきたま史跡の博物館】

『博物館右側は稲荷山古墳から出土した国宝である埋葬品の展示室になっています。写真撮影には許可が必要で、許可を得ても国宝の接写は禁止されていますので写真は撮っていませんが、金錯銘鉄剣をはじめとする多くの埋葬品が展示室奥に展示されていました』

『この写真はパンフレットを撮ったものです。この金錯銘鉄剣は国宝展示室の中央に鎮座していました』

『この写真はパンフレットを撮ったものです。この画文帯環状乳神獣鏡(がもんたいかんじょうにゅうしんじゅうきょう)は国宝展示室の奥に鎮座していました』

【古墳の大きさ】

【公園内の様子】
『博物館見学を終え、退館した時刻は16時過ぎ。誰もいませんw』



『さきたま古墳公園の見学を終え、お土産屋「さかもと」にゼリーフライを買いに行きました』

『ゼリーフライの文字が目立ちますw』


『ゼリーフライのキャラクターは「こぜにちゃん」です。なぜ「こぜにちゃん」なのかは、下記の説明書きを読むとお分かりいただけると思います』


『1枚80円とお安いです。注文してから揚げていただけるので、新聞紙で挟んでいても熱が指に伝わってきてじっと持っていると火傷するんじゃないかというくらい熱々です。お味は説明書きにあった通り、衣が付いていないコロッケです。ソースが全体に馴染んでいて美味しいです(^^)小腹がすいた時のおやつにぴったりです』



埼玉県立さきたま史跡の博物館
住所:埼玉県行田市埼玉4834
電話:048-559-1111
ホームページ:http://www.sakitama-muse.spec.ed.jp/
開館時間
(通常期):午前9時~午後4時30分(入館は午後4時まで)
(7・8月):午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日:毎週月曜日(国民の祝日・振替休日・県民の日・4/29~5/5は開館)
年末年始12/29~1/3
観覧料:一般200円、大学生・高校生100円、中学生以下、65才以上は無料
駐車場:無料
●将軍山古墳展示館
さきたま史跡の博物館共通チケット
開館時間、休館日はさきたま史跡の博物館と同じ
2011年9月26日投稿
ランチの後、埼玉(さきたま)古墳群を見に、さきたま古墳公園《さきたま風土記の丘》に行きました。
行田市には埼玉古墳群をはじめとし10もの古墳群があり、150基以上の古墳があります。
埼玉古墳群は県名発祥の地である行田市埼玉(さきたま)周辺に広がる、5世紀末から7世紀にかけて築かれた、国内でも有数の規模を誇る古墳群です。9基の大型古墳が群集する中心部分が「さきたま風土記の丘」として整備されていて、ゆったりと古墳見学することができます。5世紀末頃に稲荷山古墳が築かれたことを皮切りに、埼玉古墳群は築かれ始めましたが、6世紀後半になると真名坂高山古墳、小見真観寺古墳など100m級の大型前方後円墳が周辺地域で築かれるようになり、埼玉古墳群の古墳は規模が小さくなっていきます。7世紀に入ると若小玉古墳群ではより大型の八幡山古墳が築かれました。その後埼玉古墳群は衰え、若小玉古墳群では7世紀後半の地蔵塚古墳まで古墳が築かれ続けたのだそうです。
埼玉古墳群は国指定史跡になっており、現在世界遺産登録運動を積極的に展開しています。
公園敷地内には埼玉県立さきたま史跡の博物館もあり、稲荷山古墳から出土した国宝「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」など埼玉古墳群の出土品が多数展示されています。また分館の将軍山古墳展示館では実物の横穴式石室を建物の中から直接見ることができます。
僕は公園北側の丸墓山古墳から見学をスタートしたのですが、稲荷山古墳、将軍山古墳(展示館含む)、二子山古墳、愛宕山古墳と公園北側を巡るのに約1時間かかりました。今日は晴天で気温が高く、かなり汗をかき、喉も渇きました。水を飲もうと鞄に手を突っ込むも、ペットボトルの感触がなく、車に忘れてきたことを稲荷山古墳の辺りで気付きました(TT)時すでに遅し・・・稲荷山古墳は公園の一番北側にあり、公園中央の駐車場近くのお店まで戻るのが面倒だったので我慢することにしました。公園内に他に売店はありませんので暑い時期に行かれる方は熱中症対策(帽子、水、木陰での小休止など)をきちんとされることをお勧めいたします。僕はどうにかお店までたどり着き、水分補給、休憩をし、公園南側の散策を続けましたが、帰宅後、軽い頭痛がしていたのはその影響かもしれませんw 炎天下での散策は十分に気を付けましょう(^^;
【さきたま古墳公園《さきたま風土記の丘》】

『現在地から見て地図の上方面がほぼ北、下が南になります。これから丸墓山古墳、稲荷山古墳、将軍山古墳、二子山古墳、愛宕山古墳、瓦塚古墳、奥の山古墳、中の山古墳、鉄砲山古墳の順に巡っていきます』

『駐車場から丸墓山古墳に向かって行くと左に蓮の池があります。直径50cm程ある大きな葉ですね~(*_*)』


『あずまやがありました』

『いま見たあずまやを通り過ぎると「石田堤」です。1590年石田三成が忍城を水攻めにした時に築いた堤防の跡と言われています。水攻めの際には、丸墓山古墳の頂上に陣が張られたそうです』

『石田堤の途中に立っていました』

【丸墓山古墳(まるはかやまこふん)】
『直径105mあり円墳では日本最大です。墳丘は約19mあり埼玉古墳群の中で一番の高さがあります。6世紀前半に築かれたと推定されています』


『なかなかしんどい階段です(>_<)でも空が真っ青で綺麗ですね^^』

『頂上に到着です。ここに石田三成は陣を張ったんですね。古墳自体もすごいですが、歴史上の人物が立った場所だと思うとなお感動します(^o^)』


『丸墓山古墳から東の眺め。左に稲荷山古墳、右奥に将軍山古墳が望めます』

『丸墓山古墳から望む稲荷山古墳』

『稲荷山古墳の奥に古代蓮の里の展望タワーが見えますね』

『丸墓山から望む将軍山古墳』

『さっき登って来た階段の反対側の階段を降りました。裏側(北側)から見る丸墓山古墳。あっ!表裏と言う表現は適切ではないかもしれませんねw 駐車場側から見た裏っていうことで・・・』

【稲荷山古墳(いなりやまこふん)】
『全長120mの前方後円墳です。5世紀後半に造られたと考えられ、埼玉古墳群では最初に造られた古墳です。前方部は昭和12年(1937年)に土取り工事で失われましたが、平成16年(2004年)に復元されました。昭和43年(1968年)に発掘調査が行われ、後円部から二つの埋葬施設が発見され、金錯銘鉄剣、帯金具、まが玉、鏡など多くの埋葬品が出土しました。これらは昭和58年(1983年)に一括して国宝に指定されました』

『壊されなかった後円部』

『後円墳の頂上には埋葬施設が復元されています』


『復元された前方部』

『前方部から見た後円墳』

【将軍山古墳(しゅうぐんやまこふん)】
『全長90m、後円部の直径39m、前方部の幅68mの前方後円墳です。造られた年代は6世紀後半と推定されます。明治27年(1894年)に地元の人々により発掘調査が行われ、横穴式石室から銅椀、環頭大刀(かんとうのたち)、鉄矛、馬具など多数の副葬品が出土しました。平成3年度から8年度にかけ文化庁の協力を得て、墳丘・堀の発掘調査及び復原、石室の保存施設の建設などの整備を行い、実物の横穴式石室を建物の中から見学できる将軍山古墳展示館を設置しています』

『綺麗に整備された公園内です。でも今日は暑いですな~(-_-;)冒頭にも書きましたが、ペットボトルの水を車に忘れたので喉が渇いて仕方がないです・・・』


『将軍山古墳展示館の案内板がありました。さっき写真を撮った側(西側)の裏側(東側)にあります。古墳を回り込むのって結構大変です(T-T)しつこいですが、しかも今日は暑いので、距離はそれほど歩いていなくても、古墳を登ったり、降りたりしていると結構体力を消耗します(><)パスしてしまおうかという考えが一瞬頭をよぎりましたが、折角来たのだから、ちゃんと見ていこうと気を取り直し行ってみることに。館内は冷房が効いているでしょうから一息つけるでしょう^^』

【将軍山古墳展示館】

『大人は200円です。展示内容が少ないのでこれだけで200円だったら高いなぁと思うところですが、さきたま史蹟の博物館との共通チケットなので納得しました』

【古墳の断面】
『露出していた将軍山古墳の墳丘の断面を剥ぎ取ったものです』

【埴輪】
『将軍山古墳からは円筒埴輪が多く出土したそうです』

【横穴式石室】
『保存された実物の石室に遺構模型が配置されています』



【二子山古墳(ふたごやまこふん)】
『全長138mの前方後円墳です。かつての「武蔵国」(埼玉県、東京都、神奈川県の一部)で最大の古墳です。造られた時期は6世紀初め頃と推定されています。本格的な発掘調査がされていないため、埋葬施設などの詳細は分っていないそうです』

『水堀がありますが、築造された当時は水はなかったと考えられています』

『形がまさに双子ですw』

【愛宕山古墳(あたごやまこふん)】
『全長53で埼玉古墳群の中では一番小さい前方後円墳です。造られた時期は6世紀前半と推定されています。墳丘内部は未調査であるため、詳細は分っていないそうです。木が生い茂っているので、言われないと古墳と分らないかもしれません。ここは僕が公園巡りをスタートした地点のすぐ横にあるのですが、最初気付かず、園内地図を見ながら回って来たら、あれっ!こんなところにあったんだって感じですw』


『埼玉古墳群巡り公園北側の前半が終了しました。約1時間です。駐車場の近く、公園中央にあるお土産屋「さかもと」でお茶を買い休憩です。500mlのペットボトルのお茶を一気飲みですw フー落ち着きました(^o ^y~ 携帯用にもう一本買って、いざ南側へ出発!の前に、おっ!このお店に行田名物ゼリーフライがあるようです。食べたことがないので見学終了後、再び寄ってみることにしました』


【瓦塚古墳(かわらづかこふん)】
『全長73mの前方後円墳です。造られた時期は6世紀前半から中頃と推定されています。墳丘内部は未調査であるため詳細は分っていないそうです』

【埼玉県名発祥之碑】
『由来を読むと推測も入っているんですね』


【旧遠藤家住宅】
『移築された民家がありました。旧遠藤家住宅は幸手市にあった稲作農家で江戸時代の終わり頃に建てられたものです』


【旧山崎家住宅】
『旧山崎家住宅は行田市にあった稲作農家で明治時代始め頃に建てられたものです』


『地震の被害を受け、内部の公開が中止されていました』

【奥の山古墳(おくのやまこふん)】
『全長66mの前方後円墳です。造られた時期は6世紀中頃と推定されています』


【中の山古墳(なかのやまこふん)】
『全長79mの前方後円墳です。造られた時期は6世紀末から7世紀初めと推定されています』

【鉄砲山古墳(てっぽうやまこふん)】
『全長112mの前方後円墳です。造られたのは6世紀後半と推定されています。名称は江戸時代に忍藩が砲術練習場としていたことに由来するそうです』


【さきたま史跡の博物館】

『博物館右側は稲荷山古墳から出土した国宝である埋葬品の展示室になっています。写真撮影には許可が必要で、許可を得ても国宝の接写は禁止されていますので写真は撮っていませんが、金錯銘鉄剣をはじめとする多くの埋葬品が展示室奥に展示されていました』

『この写真はパンフレットを撮ったものです。この金錯銘鉄剣は国宝展示室の中央に鎮座していました』

『この写真はパンフレットを撮ったものです。この画文帯環状乳神獣鏡(がもんたいかんじょうにゅうしんじゅうきょう)は国宝展示室の奥に鎮座していました』

【古墳の大きさ】

【公園内の様子】
『博物館見学を終え、退館した時刻は16時過ぎ。誰もいませんw』



『さきたま古墳公園の見学を終え、お土産屋「さかもと」にゼリーフライを買いに行きました』

『ゼリーフライの文字が目立ちますw』


『ゼリーフライのキャラクターは「こぜにちゃん」です。なぜ「こぜにちゃん」なのかは、下記の説明書きを読むとお分かりいただけると思います』


『1枚80円とお安いです。注文してから揚げていただけるので、新聞紙で挟んでいても熱が指に伝わってきてじっと持っていると火傷するんじゃないかというくらい熱々です。お味は説明書きにあった通り、衣が付いていないコロッケです。ソースが全体に馴染んでいて美味しいです(^^)小腹がすいた時のおやつにぴったりです』



埼玉県立さきたま史跡の博物館
住所:埼玉県行田市埼玉4834
電話:048-559-1111
ホームページ:http://www.sakitama-muse.spec.ed.jp/
開館時間
(通常期):午前9時~午後4時30分(入館は午後4時まで)
(7・8月):午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日:毎週月曜日(国民の祝日・振替休日・県民の日・4/29~5/5は開館)
年末年始12/29~1/3
観覧料:一般200円、大学生・高校生100円、中学生以下、65才以上は無料
駐車場:無料
●将軍山古墳展示館
さきたま史跡の博物館共通チケット
開館時間、休館日はさきたま史跡の博物館と同じ
2011年9月26日投稿