天寧寺/近藤勇之墓 @福島県会津若松市
2014年11月29日(土)
飯盛山の散策を終え、天寧寺にやって来ました。
天寧寺は、正式には「萬松山 天寧寺」と号する曹洞宗の寺院です。
会津若松観光ビューローのホームページによると
応永28年(1422年)、会津にきた傑堂禅師が11代芦名盛信の建立により創立した寺。かつては会津曹洞宗の僧録司で、末寺33カ寺、12の寺院をかぞえました。
のちに伊達氏の侵攻にあって焼けたため、芦名氏の菩提寺としての面影は、本堂の礎石にわずかに残るのみです。
天寧寺の裏手の墓地には新選組の近藤勇の墓があります。土方歳三が遺髪などを持っていて会津戦の折、ここに仮埋葬したといいます。4月25日の近藤勇の命日には、墓前祭りが開催されます。
また、藩主松平容保が京都守護職にあった際の国家老で、戊辰戦争の責任者となり明治2年に切腹した萱野権兵衛と、その次男郡長正の墓もあります。
なのだそうです。
【天寧寺本堂】

【毘沙門堂】

【境内案内図】

【近藤勇之墓説明板】

『案内板に従い進みます。本堂周辺から約8分と書かれており、確かに8分でした』

【獅子桜】

『見えてきました』

【石碑】

【近藤勇之墓】
『左が新撰組局長近藤勇之墓、右は新撰組副長土方歳三の慰霊碑です』

【説明板】

住所:福島県会津若松市東山町石山天寧208
電話:0242-26-3906
ホームページ:https://www.aizukanko.com/spot/207/(会津若松観光ビューロー)
2017年6月25日投稿
飯盛山の散策を終え、天寧寺にやって来ました。
天寧寺は、正式には「萬松山 天寧寺」と号する曹洞宗の寺院です。
会津若松観光ビューローのホームページによると
応永28年(1422年)、会津にきた傑堂禅師が11代芦名盛信の建立により創立した寺。かつては会津曹洞宗の僧録司で、末寺33カ寺、12の寺院をかぞえました。
のちに伊達氏の侵攻にあって焼けたため、芦名氏の菩提寺としての面影は、本堂の礎石にわずかに残るのみです。
天寧寺の裏手の墓地には新選組の近藤勇の墓があります。土方歳三が遺髪などを持っていて会津戦の折、ここに仮埋葬したといいます。4月25日の近藤勇の命日には、墓前祭りが開催されます。
また、藩主松平容保が京都守護職にあった際の国家老で、戊辰戦争の責任者となり明治2年に切腹した萱野権兵衛と、その次男郡長正の墓もあります。
なのだそうです。
【天寧寺本堂】

【毘沙門堂】

【境内案内図】

【近藤勇之墓説明板】

『案内板に従い進みます。本堂周辺から約8分と書かれており、確かに8分でした』

【獅子桜】

『見えてきました』

【石碑】

【近藤勇之墓】
『左が新撰組局長近藤勇之墓、右は新撰組副長土方歳三の慰霊碑です』

【説明板】

住所:福島県会津若松市東山町石山天寧208
電話:0242-26-3906
ホームページ:https://www.aizukanko.com/spot/207/(会津若松観光ビューロー)
2017年6月25日投稿