厳島神社/戸ノ口堰洞穴(白虎隊士引き揚げ洞穴)/戸ノ口堰水神社 @福島県会津若松市
2014年11月29日(土)
会津さざえ堂《旧正宗寺三匝堂》の見学を終え、厳島神社、戸ノ口堰洞穴、戸ノ口堰水神社へ進みます。
厳島神社は、永徳年間会津領主芦名直盛公の時代に石塚、石部、堂家の三家によって建てられました。
戸ノ口堰用水は、猪苗代湖北西岸の戸ノ口から会津盆地へ水を引く全長31kmの用水路です。
天保3年(1832年)大改修を行う際、洞穴を掘り天保6年(1835年)に完成したのが戸ノ口堰洞穴(弁天洞穴)です。長さは約150mあります。
戸ノ口堰洞穴(白虎隊士引き揚げ洞穴)は慶応4年(1868年)戊辰戦争時、猪苗代湖畔の戸ノ口原の戦いに敗れた白虎隊二十名が、鶴ヶ城を目指して命からがら、飯盛山へ戻るために潜った洞穴でもあります。
『厳島神社、戸ノ口堰洞穴、戸ノ口堰水神社が見えてきました』

【厳島神社】

【厳島神社由緒】

『立派な杉です』

【戸ノ口堰洞穴(弁天洞穴)(白虎隊士引き揚げ洞穴)】
『飯盛山の別名は弁天山なので弁天洞穴とも呼びます』

『こんな狭い洞穴を白虎隊は潜ったのかと思うと、生死の境ですから、当時の必死さが想像できます』


【戸ノ口堰洞穴説明板】

【洞穴からの流れ】

『洞穴の脇に戸ノ口堰水神社があります』

【戸ノ口堰水神社】


【子育地蔵尊】

『こちらが飯盛山の本参道なんですね』

『見所がたくさんあります』

【太夫桜】会津若松市指定天然記念物
『高さ約13m、周囲約5.5mの江戸彼岸桜で、石部桜と共に会津の二大老樹の一つです』

【太夫桜説明板】

住所:福島県会津若松市一箕町八幡弁天下甲付近
ホームページ:https://aizumonogatari.com/yae/related/342.html(会津物語)
2017年6月24日投稿
会津さざえ堂《旧正宗寺三匝堂》の見学を終え、厳島神社、戸ノ口堰洞穴、戸ノ口堰水神社へ進みます。
厳島神社は、永徳年間会津領主芦名直盛公の時代に石塚、石部、堂家の三家によって建てられました。
戸ノ口堰用水は、猪苗代湖北西岸の戸ノ口から会津盆地へ水を引く全長31kmの用水路です。
天保3年(1832年)大改修を行う際、洞穴を掘り天保6年(1835年)に完成したのが戸ノ口堰洞穴(弁天洞穴)です。長さは約150mあります。
戸ノ口堰洞穴(白虎隊士引き揚げ洞穴)は慶応4年(1868年)戊辰戦争時、猪苗代湖畔の戸ノ口原の戦いに敗れた白虎隊二十名が、鶴ヶ城を目指して命からがら、飯盛山へ戻るために潜った洞穴でもあります。
『厳島神社、戸ノ口堰洞穴、戸ノ口堰水神社が見えてきました』

【厳島神社】

【厳島神社由緒】

『立派な杉です』

【戸ノ口堰洞穴(弁天洞穴)(白虎隊士引き揚げ洞穴)】
『飯盛山の別名は弁天山なので弁天洞穴とも呼びます』

『こんな狭い洞穴を白虎隊は潜ったのかと思うと、生死の境ですから、当時の必死さが想像できます』


【戸ノ口堰洞穴説明板】

【洞穴からの流れ】

『洞穴の脇に戸ノ口堰水神社があります』

【戸ノ口堰水神社】


【子育地蔵尊】

『こちらが飯盛山の本参道なんですね』

『見所がたくさんあります』

【太夫桜】会津若松市指定天然記念物
『高さ約13m、周囲約5.5mの江戸彼岸桜で、石部桜と共に会津の二大老樹の一つです』

【太夫桜説明板】

住所:福島県会津若松市一箕町八幡弁天下甲付近
ホームページ:https://aizumonogatari.com/yae/related/342.html(会津物語)
2017年6月24日投稿