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御水主町の民家/三聖堂/軒端の梅/比翼塚 @宮城県宮城郡松島町

2014年11月26日(水)
円通院の見学を終え、御水主町(おかこまち)の民家、三聖堂、軒端の梅、比翼塚にやって来ました。
御水主町の民家、三聖堂、軒端の梅、比翼塚とも円通院山門前の一角にあります。

『紅葉が綺麗です^^』
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【御水主町の民家】松島町指定有形文化財
『仙台藩主等が松島遊覧の際の御座船を操った水主衆が集団で住んでいました。昭和51年に最後に残った1棟をここに移築復元しました』
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【御水主町の民家説明板】
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【三聖堂】松島町指定有形文化財
『天和2年(1682年)瑞巌寺101世鵬雲により建てられました。堂内の正面中央に聖観世音菩薩、左に達磨大師、右に菅原道真を安置したことから三聖堂と言います』
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【三聖堂説明板】
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【軒端の梅・比翼塚】
『松島町のホームページによると、鎌倉時代、北条時頼が家臣・蜂谷美濃守を松島円福寺(瑞巌寺)守護のために派遣。子孫が松島に土着しました。子孫・蜂谷掃部(かもん)は、子宝に恵まれぬことから、観音さまに祈願したところ、やがて男の子が誕生、名は小太郎と名づけられました。小太郎は、観音堂に梅の若木を植えてこよなく愛していました。小太郎が十五歳の春、父が伊勢参りで道連れとなった象潟の商人と親しくなり、小太郎と商人の娘との結婚を約束したのです。ところが、帰国した父は小太郎が病死したことを知ります。掃部は泣きながら商人の娘に訳を話しましたが、娘は松島の人となり、掃部夫妻に孝養をつくしたのです。後に娘は髪をおろして名を紅蓮と改めました。小太郎が愛した梅の木が軒端の梅で、娘のもとには紅蓮尼と小太郎の碑・比翼塚が建てられています。蜂谷氏が観音仏を守っていたことから、その後、瑞巌百一鵬雲が観音を本尊とし、左に達磨、右に菅公を配した三聖堂を建立しました。なのだそうです』
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【紅蓮尼説明板】
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【軒端の梅】
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【比翼塚】
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『にかほ市(旧象潟町)と松島町が夫婦町だということは、象潟町に看板が立っているので知っていたのですが、象潟町の九十九島と松島の風景が似ているからだと思っていました。僕の解釈は全く間違っていましたwww にかほ市は九十九島をはじめ、鳥海山など見どころがたくさんです。是非お越しください^^』
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住所:宮城県宮城郡松島町松島字町内89
電話:022-354-2618(松島観光協会)
ホームページ:
http://www.zuiganji.or.jp/keidai/sanseidou.html(三聖堂)
http://www.town.miyagi-matsushima.lg.jp/index.cfm/8,3490,30,html(軒端の梅・比翼塚)
2017年4月25日投稿

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プロフィール

keny72

Author:keny72
4人家族で埼玉県志木市に在住。暇さえあれば、計画そこそこ、行き当たりばったりのぶらり散歩に出かける、アラフィフ放浪オヤジですwww

転勤で2013年4月から2018年3月の5年間、秋田県で単身赴任していたので東北地方の記事も多いです。

再び転勤で2023年4月から石川県金沢市で単身赴任しているので、2023年4月以降は北陸地方の記事が多くなる予定です。

更新が遅い故、季節外れの記事が多くなってしまいますが、その辺は大目に見て頂きたくお願い申し上げますm(__)m

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