十六羅漢(らかん児童公園) @岩手県盛岡市
2013年12月9日(月)
盛岡八幡宮の見学を終え、十六羅漢(らかん児童公園)にやって来ました。
盛岡八幡宮から南西方面へ300m程のところにあります。
盛岡市のホームページによると
江戸時代、盛岡藩の四大飢饉といわれる元禄・宝暦・天明・天保の大凶作によって、領内には多くの餓死者がでました。祗陀寺14世天然和尚は、その悲惨な餓死者を供養するために、十六羅漢と五智如来の合計21体の石仏建立を発願しました。そして領内から浄財の喜捨を募って、1837年(天保8年)工事に着手しました。
下絵は藩の御絵師狩野林泉が描き、石材は市内の飯岡山から切り出し、藩の御用職人の石工7人が3年かかって荒刻みを行い、北上川を舟で渡して、建設場所の祗陀寺末寺の宗龍寺境内に運び入れ、最後の仕上げをしたものといわれています。
こうして起工から13年目の1849年(嘉永2年)、発願した天然和尚の孫弟子にあたる長松寺13世泰恩和尚のときに、ようやく竣工しました。
しかし、宗龍寺は明治維新後に廃寺となり、1884年(明治17年)の大火で寺院も焼失しました。現在は21体の石仏群を残す市の公園となっています。
なのだそうです。
当羅漢は盛岡市指定有形文化財となっています。
『公園を取り囲む形で羅漢像が安置されています』


【十六羅漢】盛岡市指定有形文化財

『穏やかな表情で、心が和みます^^』

『仏様に囲まれているので、安心して子供達が遊べそうな気がしてきます^^』

【説明板】

住所:岩手県盛岡市茶畑2-1
電話:019-639-9067(盛岡市役所 歴史文化課)
ホームページ:http://www.city.morioka.iwate.jp/moriokagaido/rekishi/bunkazai/shi_shitei/003376.html(盛岡市)
2014年11月19日投稿
盛岡八幡宮の見学を終え、十六羅漢(らかん児童公園)にやって来ました。
盛岡八幡宮から南西方面へ300m程のところにあります。
盛岡市のホームページによると
江戸時代、盛岡藩の四大飢饉といわれる元禄・宝暦・天明・天保の大凶作によって、領内には多くの餓死者がでました。祗陀寺14世天然和尚は、その悲惨な餓死者を供養するために、十六羅漢と五智如来の合計21体の石仏建立を発願しました。そして領内から浄財の喜捨を募って、1837年(天保8年)工事に着手しました。
下絵は藩の御絵師狩野林泉が描き、石材は市内の飯岡山から切り出し、藩の御用職人の石工7人が3年かかって荒刻みを行い、北上川を舟で渡して、建設場所の祗陀寺末寺の宗龍寺境内に運び入れ、最後の仕上げをしたものといわれています。
こうして起工から13年目の1849年(嘉永2年)、発願した天然和尚の孫弟子にあたる長松寺13世泰恩和尚のときに、ようやく竣工しました。
しかし、宗龍寺は明治維新後に廃寺となり、1884年(明治17年)の大火で寺院も焼失しました。現在は21体の石仏群を残す市の公園となっています。
なのだそうです。
当羅漢は盛岡市指定有形文化財となっています。
『公園を取り囲む形で羅漢像が安置されています』


【十六羅漢】盛岡市指定有形文化財

『穏やかな表情で、心が和みます^^』

『仏様に囲まれているので、安心して子供達が遊べそうな気がしてきます^^』

【説明板】

住所:岩手県盛岡市茶畑2-1
電話:019-639-9067(盛岡市役所 歴史文化課)
ホームページ:http://www.city.morioka.iwate.jp/moriokagaido/rekishi/bunkazai/shi_shitei/003376.html(盛岡市)
2014年11月19日投稿