盛岡八幡宮 @岩手県盛岡市
2013年12月9日(月)
旧第九十銀行本店本館《もりおか啄木・賢治青春館》の見学を終え、盛岡八幡宮にやって来ました。
旧第九十銀行本店本館《もりおか啄木・賢治青春館》から南東方面へ1km程のところにあります。
神社人によると、ご由緒は
康平5年(1062年)に、源頼義が安倍氏撃滅を祈願して、石清水八幡を勧請したのが起源。鳩森八幡と称され土地の豪族日戸氏が代々崇敬したという。文禄2年(1593年)南部氏が盛岡城を築城したとき城内鎮守の氏神として再建された。また、南部氏は延宝8年(1680年)八戸より氏神の櫛引八幡を城内鳩森八幡の御旅所のあった現在地に勧請し、これを南部新八幡と称した。明治になり鳩森八幡は新八幡に遷座し、同22年(1889年)からは付近の白山神社を合祀した。
なのだそうです。
ご祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)です。
【正面鳥居】

【社号標】

『綺麗で立派な参道ですね』

【青銅燈籠】盛岡市指定有形文化財


【御由緒】

【手水舎】
『「水堀石」といわれる大石です。もともとは岩手郡内北の浦の滝壺にあった石で、流水によって自然にくぼみが形づくられた珍しい石です』

『馬の絵の額が掲げられた建物があります』

『御神馬がいました。ユニークな表情ですwww』

【高倍神社】
『高倍(たかべ)神社に祀られているのは、磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)と四条中納言藤原政朝卿(しじょうちゅうなごんふじわらのまさともきょう)です。この神さまは、醤油や味噌などの調味料や料理、飲食店の守り神として知られています。調理技術によいということから、女性の守り神であり、調理を商売にしている人々の守り神として敬われています。この神さまが祭られているのは関東以北ではこの神社だけです』


【御祭神の御治績】

【交通安全神社】

【歯固めの石】

『毎年1月15日午前10時、どんと祭が行われます』

【盛岡天神社】


【健康神社】
『肺神、肝神、腎神、心神、脾神といった五臓の神のほか、癌神、中風神、健康神、生命神、薬神など、健康にまつわる神々が祀られています』


『十二支神社や大国・恵比寿社が並んでいます』

【十二支神社】
『神社名の下に干支が書かれています。僕はねずみ年の出雲神社へ参拝です。おっと!年齢がばれますねw』

【大国・恵比寿社】
『大国だったり大黒だったり、恵比寿だったり恵毘須だったり、漢字ってややこしいと思うのは僕だけでしょうか』


『拝殿への階段を上ると、どんと祭の場所、健康神社、十二支神社などが一望できます』

【拝殿】
『朱色が綺麗で、荘厳な拝殿です^^』



【神宝殿】
『八幡宮に古くから伝わっている宝物や後世に伝えたい重要な奉納品が数多く保管、 展示されています』

【笠森稲荷神社社号標】
『盛岡八幡宮の左隣にあります』

【田村了咲句碑】
『了咲は明治40年盛岡市に生まれ、昭和2年高浜虚子の「ホトトギス」に入門。昭和5年「夏草」創刊により、山口青邨に師事。「楡の杜」「中尊寺馬車」など句集を発表。昭和55年、72歳の生涯を閉じました。参道脇にあります』


【梅宮】
『安産の神様です。笠森稲荷神社の左手前にあります』


【笠森稲荷神社】
『笠森稲荷神社は八幡宮が建てられる前から八幡山の山頂に祀られていたそうです』



【金勢神社】


【神明社】
『延暦の昔、坂上田村麻呂が盛岡の仁王に建てたのがはじまりです。元禄時代には煙草丁(現在の明神町)に、その後八幡山にと移されました。明治17年(1884年)盛岡の大火により焼失しましたが、昭和43年(1968年)明治維新100年を記念して現在の地に祀られました』




『盛岡八幡宮と笠森稲荷神社参道入口の間に、明治天皇御聖像・御聖跡碑が立っています』

【北側鳥居】

【北側社号標】

【岩手護國神社鳥居】
『笠森稲荷神社の左隣にあります』

【岩手護國神社御由緒】

【岩手護國神社】
『戦争で亡くなられた岩手県に関係する人々の魂をお祀りしている神社です。始まりは、明治2年、当時の県知事である南部利恭によって、岩手郡東茶野畑(現在の盛岡市内)に社殿が建てられたことによります』



【霊璽簿奉安殿】
『岩手護国神社に祭られている戦没者と遺族の名前を記した名簿を保管しています』

【平和の塔】

【戦没者遺骨奉安殿鳥居】

【戦没者遺骨奉安殿】
『身寄りのない戦没者の遺骨を安置しています』



住所:岩手県盛岡市八幡町13−1
電話:019-652-5211
ホームページ:http://www.morioka8man.jp/
2014年11月17日投稿
旧第九十銀行本店本館《もりおか啄木・賢治青春館》の見学を終え、盛岡八幡宮にやって来ました。
旧第九十銀行本店本館《もりおか啄木・賢治青春館》から南東方面へ1km程のところにあります。
神社人によると、ご由緒は
康平5年(1062年)に、源頼義が安倍氏撃滅を祈願して、石清水八幡を勧請したのが起源。鳩森八幡と称され土地の豪族日戸氏が代々崇敬したという。文禄2年(1593年)南部氏が盛岡城を築城したとき城内鎮守の氏神として再建された。また、南部氏は延宝8年(1680年)八戸より氏神の櫛引八幡を城内鳩森八幡の御旅所のあった現在地に勧請し、これを南部新八幡と称した。明治になり鳩森八幡は新八幡に遷座し、同22年(1889年)からは付近の白山神社を合祀した。
なのだそうです。
ご祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)です。
【正面鳥居】

【社号標】

『綺麗で立派な参道ですね』

【青銅燈籠】盛岡市指定有形文化財


【御由緒】

【手水舎】
『「水堀石」といわれる大石です。もともとは岩手郡内北の浦の滝壺にあった石で、流水によって自然にくぼみが形づくられた珍しい石です』

『馬の絵の額が掲げられた建物があります』

『御神馬がいました。ユニークな表情ですwww』

【高倍神社】
『高倍(たかべ)神社に祀られているのは、磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)と四条中納言藤原政朝卿(しじょうちゅうなごんふじわらのまさともきょう)です。この神さまは、醤油や味噌などの調味料や料理、飲食店の守り神として知られています。調理技術によいということから、女性の守り神であり、調理を商売にしている人々の守り神として敬われています。この神さまが祭られているのは関東以北ではこの神社だけです』


【御祭神の御治績】

【交通安全神社】

【歯固めの石】

『毎年1月15日午前10時、どんと祭が行われます』

【盛岡天神社】


【健康神社】
『肺神、肝神、腎神、心神、脾神といった五臓の神のほか、癌神、中風神、健康神、生命神、薬神など、健康にまつわる神々が祀られています』


『十二支神社や大国・恵比寿社が並んでいます』

【十二支神社】
『神社名の下に干支が書かれています。僕はねずみ年の出雲神社へ参拝です。おっと!年齢がばれますねw』

【大国・恵比寿社】
『大国だったり大黒だったり、恵比寿だったり恵毘須だったり、漢字ってややこしいと思うのは僕だけでしょうか』


『拝殿への階段を上ると、どんと祭の場所、健康神社、十二支神社などが一望できます』

【拝殿】
『朱色が綺麗で、荘厳な拝殿です^^』



【神宝殿】
『八幡宮に古くから伝わっている宝物や後世に伝えたい重要な奉納品が数多く保管、 展示されています』

【笠森稲荷神社社号標】
『盛岡八幡宮の左隣にあります』

【田村了咲句碑】
『了咲は明治40年盛岡市に生まれ、昭和2年高浜虚子の「ホトトギス」に入門。昭和5年「夏草」創刊により、山口青邨に師事。「楡の杜」「中尊寺馬車」など句集を発表。昭和55年、72歳の生涯を閉じました。参道脇にあります』


【梅宮】
『安産の神様です。笠森稲荷神社の左手前にあります』


【笠森稲荷神社】
『笠森稲荷神社は八幡宮が建てられる前から八幡山の山頂に祀られていたそうです』



【金勢神社】


【神明社】
『延暦の昔、坂上田村麻呂が盛岡の仁王に建てたのがはじまりです。元禄時代には煙草丁(現在の明神町)に、その後八幡山にと移されました。明治17年(1884年)盛岡の大火により焼失しましたが、昭和43年(1968年)明治維新100年を記念して現在の地に祀られました』




『盛岡八幡宮と笠森稲荷神社参道入口の間に、明治天皇御聖像・御聖跡碑が立っています』

【北側鳥居】

【北側社号標】

【岩手護國神社鳥居】
『笠森稲荷神社の左隣にあります』

【岩手護國神社御由緒】

【岩手護國神社】
『戦争で亡くなられた岩手県に関係する人々の魂をお祀りしている神社です。始まりは、明治2年、当時の県知事である南部利恭によって、岩手郡東茶野畑(現在の盛岡市内)に社殿が建てられたことによります』



【霊璽簿奉安殿】
『岩手護国神社に祭られている戦没者と遺族の名前を記した名簿を保管しています』

【平和の塔】

【戦没者遺骨奉安殿鳥居】

【戦没者遺骨奉安殿】
『身寄りのない戦没者の遺骨を安置しています』



住所:岩手県盛岡市八幡町13−1
電話:019-652-5211
ホームページ:http://www.morioka8man.jp/
2014年11月17日投稿