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連祥院 (六角堂) @栃木県栃木市

2021年4月30日(金)
謙信平の見学を終え、連祥院 (六角堂)にやってきました。

連祥院は太平山と号する天台宗の寺院です。

ホームページによると、縁起は

 太平山連祥院は、天長4年(827年)慈覚大師円仁により創建されました。その後連祥院は、淳和天皇御宸筆の勅額を賜り永世勅願所となり、太平山の神事・仏事をすべてとりしきる別当寺院となりました。
 創建より七百余年は平穏でしたが、天正13年(1585年)、皆川氏と北条氏が太平山上において、数十日間に亘る戦を繰り広げ、多くの寺院、社宇が焼失してしまいました。戦後直ちに当時の連祥院住職が、太平山内の寺院、社宇の復興に着手し、三年後の天正16年には主な堂宇が再建されました。江戸期に入り、徳川家との深い関係(四代将軍家綱の生母高島御前が、太平山南麓瑞穂村高島の生まれで太平山を尊崇していた。)から、連祥院は延享3年(1747年)に大寺格に昇進し、近郷の多くの人々の信仰をあつめました。
 明治期以前まで太平山は、神仏が混在しており、山上には慈覚大師円仁が創建した太平大権現社、当山のご本尊虚空蔵菩薩を安置した本地堂、釈迦堂、大日堂等の堂宇が並び、下に仁王門(現在は随神門。当時は連祥院の仁王門でした。現在でも裏側に仁王さまが安置してあり、かつて寺院として栄えた頃を偲ばせる建造物です。)そして、あじさい坂のわきには、三光院、多聞院、法泉院、報恩院等の寺院がありました。
 しかし、明治期の神仏分離令により太平山における仏閣、寺院、別当所は廃棄され、僧侶の祭事に列する事も止められました。太平山の本地仏虚空蔵菩薩はなんとか難を逃れ、旭岳へ仮本堂を建て安置されました。明治20年には新しい本堂が建立されましたが、同35年暴風雨により倒壊してしまいました。その後有志者により、今日の連祥院本堂が明治38年に建立されました。連祥院本堂は、京都の六角堂を模して建てられましたので、六角堂と呼ばれております。
 現在の本堂は、昭和の終わりから平成にかけて行なわれた本堂洗浄・屋根改修工事によって建立当時の優美さを今なお保ち続けています。
 堂内には、虚空蔵菩薩(秘仏)、愛染明王、不動明王が安置されており、向拝には、親子龍の左上に虚空蔵菩薩と関係の深いうなぎの彫刻があります。

なのだそうです。

太平山神社への参道を進みます』
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【太平山神社石鳥居】
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『連祥院の幟が立っています』
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【あじさい坂】
『太平山神社の参道です。この坂を上って行くと太平山神社随神門があります。二の鳥居が見えます』
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『左を見ると連祥院があります』
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『ちゃんと正面参道から入ります』
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【山門】
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【本堂(六角堂)】
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『本堂の屋根が六角になっています。これは珍しくですね。初めて見ました(^_^)』
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『周囲の木々との調和も素晴らしいです!』
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【由緒】
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【虚空蔵菩薩説明板】
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『太平山山麓の六角堂を参拝し、あじさい坂を上って太平山神社を参拝し、下山後ここで休憩するのも良さそうですね^_^』
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【地図】


住所:栃木県栃木市平井町643
電話:0282-25-3023
ホームページ:https://www.tochigirokkakudo.or.jp/
2023年12月31日投稿

謙信平 @栃木県栃木市

2021年4月30日(金)
太平山神社の見学を終え、謙信平(けんしんだいら)にやってきました。

栃木市観光協会のホームページによると、謙信平は

 戦国時代の頃、関東平定を競い対立した越後の上杉謙信と、小田原の北条氏康は、当時の大中寺住職虎溪和尚(こけいおしょう)の斡旋により、永祿11年(1568年)9月、大中寺において和議を結んだ。
 そのあと、上杉謙信は太平山に登り、兵馬の訓練を行い太平山上から南の関東平野を見渡し、あまりの広さに目を見張ったという故事から謙信平の地名が生まれたといわれる。
 茶店が並ぶ南側には、水戸天狗党の鎮魂碑がある。
 「おもう、むかし勤王の士 義旗をこの地にあげ 方今よりて無事 石に題す」 と刻まれた碑は、明治14年(1881年)6月に来栃した日向国(現宮崎県)高鍋藩主の世子、秋月種樹が地元有志と太平山に回遊した際に発起人となり立てた石碑である。

なのだそうです。

【太平山遊覧道路】
『お店が並んでいます』
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【展望台】
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【説明板】
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【謙信平からの眺望】
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『関東平野の南側(埼玉方面)が見渡せます』
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『この広さを見たら謙信も驚くでしょうね(^^)』
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【地図】


住所:栃木県栃木市平井町660付近
ホームページ:https://www.tochigi-kankou.or.jp/spot/kenshindaira(栃木市観光協会)
2023年12月30日投稿

太平山神社 @栃木県栃木市

2021年4月30日(金)
栃木カントリークラブでのプレー終了が14時半頃でした。
天気が良く、日没まで時間が十分にあったのでゴルフ場がある太平山(おおひらさん)を散策することにしました。
まず、太平山神社にやって来ました。

ホームページによると、由緒は

 太平山神社の歴史は『諸神座記』を始め多くの古文書によれば、垂仁天皇の御宇に大物主神・天目一大神が三輪山(現在の太平山)に鎮座されたときに始まると云われております。今からおよそ二千年も前のことですが、太平山神社の周辺からは古い時代の祭祀遺跡・祭祀遺物が出土しており、太平山は非常に古くから信仰されていた山であったことが伺い知れます。
 『太平山開山記』によれば、「円仁(慈覚大師)は何年にもわたり太平山の入山を拒否されていたが、淳和天皇の御代の天長4年(827年)、天皇の勅額を奉じることでついに入山を果たした」とあります。これが今日伝えられている「天長四年慈覚大師開山説」で、旧暦1月8日に執り行われる神蛇祭(しんださい)の祝詞にも伝えられています。こうして太平山神社は「神仏」を祭る山としての第一歩を迎えたのです。この後、太平山は神鎮まる御山として一大宗教の霊地となり、摂末社および寺院が八十余遷座・建立されました。
 さらに明徳3年(1392年)には後小松天皇から「太平山神社」の額を下賜されましたが、天正13年(1585年)の戦火で、これら淳和・後小松両天皇の額は焼失してしまいました。
 戦国時代に北条氏と対立する上杉謙信が太平山から関東を臨んだという言い伝えが残っているほど、関東平野を一望できる地に太平山神社は鎮座しております。天正年間に兵火によって社殿が焼失してしまう不幸がありましたが、近世の初期には早くも復興し、徳川幕府から朱印地50石を認められました。さらに寛政年中(1789~1801年)には「御願御抱場」となるなど、民衆のみならず朝廷や幕府からも「天下太平を祈る社」として信仰されました。『雲上明鑑』『雲上明覧』にも「下野 太平山宮司」「野州 大平山神主」または「野州 大平山別當」と記載されるなど、武家伝奏が朝廷へ執奏する社でもありました。
 太平山神社は様々な歴史を経て参りましたが、古い昔から、多くの人々の心を支え続けてきたのです。

なのだそうです。

御祭神は瓊瓊杵命(ににぎのみこと)、天照皇大御神、豊受姫大神です。

【随神門】栃木市指定有形文化財
『享保8年(1723年)、徳川八代将軍吉宗公によって建築されました。表には左大臣・右大臣、後ろに仁王を配しています。仁王像が配されているのは、太平山が江戸時代までは社寺の山として栄えていた名残です。天井の龍の絵は、第14代将軍家茂公の時代の五楽院法眼等随の筆で、雲を起こして昇天した龍が空高く舞い遊ぶ様子が描かれています。建築方法は「入母屋造り扇垂木」で俗に傘(からかさ)天井と呼ばれます』
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【扁額】
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【随神門説明板】
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【狛犬・燈籠】
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【参道】
『100m程、急な石段が続きます』
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『振り返ったら、随神門が木に埋もれていましたwww自然豊かです(^^)』
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【鳥居】
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【扁額】
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【門】
『説明板がないので憶測ですが、神社では見ない門なので随神門同様に神仏混淆時代の名残の門なのかもしれません』
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【扁額】
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【撫で石】
『この石を撫でることにより災厄を祓い、霊験を得るという信仰があります』
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【狛犬】
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【拝殿】
『拝殿の前にある扁額を掲げた門のような建築物の名称が分かりません。初めて見ました』
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【拝殿・本殿】
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『拝殿から振り返ると栃木市、小山市の街並みの光景が見えます』
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【社務所】
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【神馬舎】
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【神馬】
『神馬(しんめ)とは、神様の乗り物であると同時に、祈願する人が神様に奉納した馬のことでもあります。今から1300年前にはすでに、日照りが続いて雨を降らせてほしいとき、または長雨を止めてほしいときに、神社への祈雨祈願の際に、神様に馬を奉納していました。現在の絵馬は、本物の馬ではなく、木版などに描いた馬を模して奉納するようになったものです。絵馬に願い事を書くというのは古い由来のある信仰です』
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【交通安全神社・福神社・星宮神社】
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【太平稲荷神社・三輪神社・足尾神社・皇大神宮・稲荷神社・厳島神社・上宮神社・天満宮・大杉神社・織姫神社・浅間神社】
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【境内案内図】
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【交通安全神社】
『猿田彦命をお祭りしています。「交通安全神社」という名前の神社は全国でも珍しく、その名の通り「交通安全」に非常に霊験あらたかな神社です。7月1日には当社で交通安全祭が執り行われます』
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【扁額】
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【福神社】
『天之受売命・恵比須神・大国主命をお祭りしています。天之受売命は主に芸能の神様として信仰されています。恵比須神は生産・販売など商売繁盛の御利益をもたらします。大国主命は、経営・医薬・開拓・縁結び・五穀豊作をお守りしています。福神社では4月19日に太々神楽(だいだいかぐら)が奉納されます。この太々神楽は、江戸時代にはすでに奉納があった由緒の古いお祭りです』
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【星宮神社】
『磐裂根裂神・天之加々背男命・天海水木土火金地などの森羅万象の神々をお祭りしています。さらに、向かって右には子易神社・左には天満宮・文章学社(もんじょうがくしゃ)が配されています。子易神社には木花開耶媛命がお祭りされ、子授・安産をお護りしています。この神様は瓊瓊杵命の妻であり、女性の幸せをお護りする神様でもあります。天満宮・文章学社には菅原道真公と菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)がお祭りされています。菅原道真公は学問成就のほか、雷除け・豊作のご利益をもたらします。菟道稚郎子は芸能上達の守護神です。お寺のお堂のような造りをしていますが江戸時代までの神仏習合の名残です』
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【太平山稲荷神社・三輪神社】
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【太平稲荷・蔵稲荷・伏見稲荷】
『豊宇気毘売神・倉稲魂神・宇迦之御魂神をそれぞれお祭りしています。蔵稲荷は江戸時代、現在の東京の両国あたりの商家たちに信仰された稲荷社です。江戸時代、栃木~江戸は河川を通じて商船が頻繁に行き交っており、人の交流も盛んでした。こうした歴史的・地理的な条件に加え、古くから勅願社としての由緒を持つ太平山神社は、江戸を始め広く関東で信仰されています』
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【三輪神社】
『大物主大神・大己貴大神・少彦名神をお祭りしています』
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【諸願成就の一本石灯籠】
『火袋に小石を投げ入れて諸願成就を祈ります』
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『80個!これは大変ですよ・・・僕にはもう縁結びは必要ありませんが、独身だったとしても早々に諦めて、別の方法にするでしょうねwww』
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【足尾神社】
『日本武尊をお祭りしています。天狗様とも信仰されています。古くから足腰の健康祈願のお参りが絶えない神社です。子どもの足形用の絵馬を奉納して、足腰に不安のないようにお参りします。また、足のケガや病気の平癒を祈願して無事に治った方は、新しい履き物を奉納し、今後の足腰の健康を願います』
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【皇大神宮・稲荷神社・厳島神社・上宮神社・天満宮・大杉神社・織姫神社・浅間神社】
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【愛宕神社・八幡神社】
『愛宕神社は火之迦具土神を祭り、鎮火・火防をもたらします。八幡神社は誉田別尊・比売神・神功皇后をお祭りし、文明の発展をお護りしています。また、八幡神は古くから武運を守護してきた神様であり、勝負運を守護する神様でもあります』
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【太平山神社由緒】
『「おおひらさん」が正しい読み方です。「たいへいざん」と読んでいました\(//∇//)\』
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【奥宮入口】
『ゴルフで足腰に来ていますが、折角なので奥宮まで登る事にしました』
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『登ります』
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『更に登ります』
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『150m程登ると奥宮に到着です』
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【太平山神社奥宮】
『天目一大神は、垂仁天皇の御世、東国を治めるために太平山に鎮座されました。武徳を以て国土を護治する天目一大神が坐す太平山神社の奥宮は「武治宮」と呼ばれました。また、天照大神の窟隠れのときに天利霊劔を造作した神様でもあるため、劔宮とも呼ばれました。劔を作って神威を助けたところから、悪を制して善を育み、世の中を良くするご神徳があります。鋳物や製鉄関係の産業の安全・発展をおまもりする神様でもあります』
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【太平山神社奥宮説明板】
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『展望台に向かいます』
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『面白いセットですね』
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『既にお店は閉まっていました』
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【展望台からの眺望】
『素晴らしい眺望です(^-^)栃木市、小山市、下野市方面が見渡せます』
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【鯉のいる街・蔵の街のみどころ】
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【地図】


住所:栃木県栃木市平井町659
電話:0282-22-0227
ホームページ:http://www.ohirasanjinja.rpr.jp/
2023年12月28日投稿
プロフィール

keny72

Author:keny72
4人家族で埼玉県志木市に在住。暇さえあれば、計画そこそこ、行き当たりばったりのぶらり散歩に出かける、アラフィフ放浪オヤジですwww

転勤で2013年4月から2018年3月の5年間、秋田県で単身赴任していたので東北地方の記事も多いです。

再び転勤で2023年4月から石川県金沢市で単身赴任しているので、2023年4月以降は北陸地方の記事が多くなる予定です。

更新が遅い故、季節外れの記事が多くなってしまいますが、その辺は大目に見て頂きたくお願い申し上げますm(__)m

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