夜討沢双龍の巌 @埼玉県秩父郡小鹿野町
2021年2月27日(土)
堂上節分草園の見学を終え、夜討沢双龍の巌(ようちざわそうりゅうのいわ)にやって来ました。
堂上節分草園から西方面へ200m程のところにあります。
説明板によると
室町時代の1476年、関東管領山内上杉家の重臣である長尾景春は、古河公方を後ろ盾として主家へ反逆します。
やがて太田道灌に追いつめられ、この地の山城・塩沢城に籠城し抵抗しますが、ある夜、道灌の命で夜討ちが行われ、この沢は戦いの場となりました。景春らは、夜陰に紛れて何処かに消え去ります。
夜討沢の呼び名は、この史実がもとになっています。
この沢の周辺は繁茂した樹木に覆われ、その全容は久しく幻のものとなっていました。
このほど、それを復活させたいという機運が高まり、小森川右岸の地主の今井正二様、両神興業株式会社様、左岸の地主の今井栄之助様等の理解と善意により樹木の伐採が行われ、迫力ある景観が戻りました。
そそり立つ巨岩には、その勇姿と往古の戦いの伝承から「夜討沢双龍の巌」という名が付けられました。
なのだそうです。
【夜討沢双龍の巌】
『2つ大きな岩があるので双龍ということなんですね』

【左の巌】

【右の巌】

【説明板】



【地図】
住所:埼玉県秩父郡小鹿野町両神小森
2023年9月30日投稿
堂上節分草園の見学を終え、夜討沢双龍の巌(ようちざわそうりゅうのいわ)にやって来ました。
堂上節分草園から西方面へ200m程のところにあります。
説明板によると
室町時代の1476年、関東管領山内上杉家の重臣である長尾景春は、古河公方を後ろ盾として主家へ反逆します。
やがて太田道灌に追いつめられ、この地の山城・塩沢城に籠城し抵抗しますが、ある夜、道灌の命で夜討ちが行われ、この沢は戦いの場となりました。景春らは、夜陰に紛れて何処かに消え去ります。
夜討沢の呼び名は、この史実がもとになっています。
この沢の周辺は繁茂した樹木に覆われ、その全容は久しく幻のものとなっていました。
このほど、それを復活させたいという機運が高まり、小森川右岸の地主の今井正二様、両神興業株式会社様、左岸の地主の今井栄之助様等の理解と善意により樹木の伐採が行われ、迫力ある景観が戻りました。
そそり立つ巨岩には、その勇姿と往古の戦いの伝承から「夜討沢双龍の巌」という名が付けられました。
なのだそうです。
【夜討沢双龍の巌】
『2つ大きな岩があるので双龍ということなんですね』

【左の巌】

【右の巌】

【説明板】



【地図】
住所:埼玉県秩父郡小鹿野町両神小森
2023年9月30日投稿