専福寺/報土寺/種徳寺 @東京都港区
2021年1月30日(土)
圓通寺/末廣稲荷神社/道教寺の見学を終え、専福寺、報土寺、種徳寺にやって来ました。
『専福寺(せんぷくじ)に到着です』

【専福寺本堂】
『専福寺は康寧山寶幢院と号する浄土真宗本願寺派の寺院です。遣隋使小野妹子が聖徳太子報恩のために建立した一宇を草創とすると伝えられ、当初は法相宗寺院で鎌倉小菅谷出立川にあったといいます。第57世善海の代に親鸞聖人に帰依し天台宗より浄土真宗に改めました。善海は鎌倉の兵乱を避けるために赤坂一ツ木へ移転、中興開基し寛永12年江戸城の外堀工事に伴い、当地へ移転したそうです』

『TBS脇の三分坂を下ります』


『三分坂の途中に報土寺(ほうどうじ)があります』

【築地塀(ついじべい)《練塀》】港区登録有形文化財

【築地塀《練塀》標柱】


『雷電為右衛門の墓があります』

『東京都指定旧跡の井部香山の墓があります』

【報土寺本堂】
『報土寺は笑柳山と号する真宗大谷派の寺院です。朝倉左衛門義景の子孫である永受法師が開基となり赤坂一ツ木(現赤坂二丁目)に慶長19年(1614年)創建、安永9年(1780年)当地に移転したそうです』

【報土寺鐘楼】

【地蔵菩薩】


『種徳寺(しゅとくじ)に到着です』

【種徳寺本堂】
『種徳寺は、霊凰山と号する臨済宗系単立寺院です。北條幻庵綱成(法名本光寺殿龍淵鐡公大禅定門)を開基として、早雲寺第二世大室和尚が開山となり本光寺と称して小田原に創建、天正19年(1591年)の小田原の陣の後、徳川家康に召し出されて江戸へ上京、小笠原播磨守康廣の室(種徳寺殿惠光宗智大姉)の帰依を得て靈鳳山種徳寺と改めたそうです』

【種徳寺境内の様子】


『周囲には高層ビルが立ち並びます』

【専福寺地図】
【報土寺地図】
【種徳寺地図】
専福寺
住所:東京都港区赤坂7-6-10
電話:03-3583-3115
報土寺
住所:東京都港区赤坂7-6-20
電話:03-3583-5401
種徳寺
住所:東京都港区赤坂7-6-29
電話:03-3583-4607
2023年6月29日投稿
圓通寺/末廣稲荷神社/道教寺の見学を終え、専福寺、報土寺、種徳寺にやって来ました。
『専福寺(せんぷくじ)に到着です』

【専福寺本堂】
『専福寺は康寧山寶幢院と号する浄土真宗本願寺派の寺院です。遣隋使小野妹子が聖徳太子報恩のために建立した一宇を草創とすると伝えられ、当初は法相宗寺院で鎌倉小菅谷出立川にあったといいます。第57世善海の代に親鸞聖人に帰依し天台宗より浄土真宗に改めました。善海は鎌倉の兵乱を避けるために赤坂一ツ木へ移転、中興開基し寛永12年江戸城の外堀工事に伴い、当地へ移転したそうです』

『TBS脇の三分坂を下ります』


『三分坂の途中に報土寺(ほうどうじ)があります』

【築地塀(ついじべい)《練塀》】港区登録有形文化財

【築地塀《練塀》標柱】


『雷電為右衛門の墓があります』

『東京都指定旧跡の井部香山の墓があります』

【報土寺本堂】
『報土寺は笑柳山と号する真宗大谷派の寺院です。朝倉左衛門義景の子孫である永受法師が開基となり赤坂一ツ木(現赤坂二丁目)に慶長19年(1614年)創建、安永9年(1780年)当地に移転したそうです』

【報土寺鐘楼】

【地蔵菩薩】


『種徳寺(しゅとくじ)に到着です』

【種徳寺本堂】
『種徳寺は、霊凰山と号する臨済宗系単立寺院です。北條幻庵綱成(法名本光寺殿龍淵鐡公大禅定門)を開基として、早雲寺第二世大室和尚が開山となり本光寺と称して小田原に創建、天正19年(1591年)の小田原の陣の後、徳川家康に召し出されて江戸へ上京、小笠原播磨守康廣の室(種徳寺殿惠光宗智大姉)の帰依を得て靈鳳山種徳寺と改めたそうです』

【種徳寺境内の様子】


『周囲には高層ビルが立ち並びます』

【専福寺地図】
【報土寺地図】
【種徳寺地図】
専福寺
住所:東京都港区赤坂7-6-10
電話:03-3583-3115
報土寺
住所:東京都港区赤坂7-6-20
電話:03-3583-5401
種徳寺
住所:東京都港区赤坂7-6-29
電話:03-3583-4607
2023年6月29日投稿