子ノ権現《天龍寺》 @埼玉県飯能市
2018年8月4日(土)
飯能市の子ノ権現《天龍寺》に行って来ました。
国道299号線を走っていると、大小いくつかの案内板を見かけるので以前から気になっていました。
子ノ権現(ねのごんげん)は正式には「大鱗山 雲洞院 天龍寺(だいりんざん うんどういん てんりゅうじ)」と号する天台宗の寺院です。
説明板とホームページによると、由緒は
当山は、延喜11年(911年)6月13日に子ノ聖(ねのひじり)が初めてこの地に十一面観音をお祀りし、天龍寺を創建されたことに始まります。
その後、弟子の恵聖上人が子ノ聖を大権現と崇め、子ノ聖大権現社を建立されました。
子ノ聖は天長9年(832年)子ノ年子ノ月子ノ日子ノ刻に紀伊の国(現在の和歌山県天野)でお生まれになったことから子ノ日丸と呼ばれ、幼い頃より聡明にして仏教に通じ、僧となっては諸国をまわり修行を積まれました。
特に出羽三山において修行を重ね、ある日、月山の頂上に登り、年来読誦する般若心経を取り出し、南無三世仏母般若妙典、願わくば、われ、永く跡を垂るべき地を示し給え。と空高く投げました。すると、そのお経は南へ飛んで、当山の奥の院(経ヶ峰)に降り立ち光を発しました。この光を目当てに当山山麓まで来られ、山を開こうとした聖は、悪魔どもに襲われ火を放たれました。しかし、十一面観音が天龍の姿となって現れ、大雨を降らしその火を消してくれました。
その後、当山で修行教化に励まれた聖は、長和元年(1012年)我、既に化縁つきぬれば、寂光土に帰る。然れども、この山に跡を垂れて、永く衆生を守らん、我、魔火のために腰より下に傷を負い悩めることもあり、よって腰より下に病ある者、誠の心で我を念ずれば、必ず霊験を授けん。能除一切苦。という御誓願を遺し、齢181才で化寂されました。
それ以後、子ノ聖の尊像をお祀りして、足腰守護の神様として広く信仰されることとなりました。
尚「子」には、物事の始まり、全てのものを生み出し育む大本の意味があります。
なのだそうです。
当寺は武蔵野三十三観音霊場第32番札所、関東百八地蔵霊場第十番札所になっています。
『国道299号線のこの看板立っている所から県道395号線(南川上名栗線)に入ります』

【高麗川】

『左に高麗川とは別の細い川を見ながら進みます』

『この案内板とお地蔵様が見えてきたら、もうすぐ左折です』

【地蔵菩薩】

『あと3kmです』

『180度旋回します』

『細い上り坂なので対向車に注意が必要です!』

『あと1kmです』

『駐車場に到着しました』

【駐車場】

『150mくらい進むとお土産屋が見えてきます』

【関東ふれあいの道コース略図】

【二本杉】埼玉県指定天然記念物
『子ノ聖が食事の際、箸代わりに使った杉の枝をここに挿し、それが成長して大木になったと伝えられています。樹齢はおよそ1000年だそうです』

『一本は上部がなくなってしまっています。台風などの自然災害で折れてしまったのでしょうかね』

『根元には二本杉の解説が彫られた石碑と子ノ権現の解説板があります』


【お土産屋】

『奥に進んで行くと、黒門が見えてきます』

【黒門】

【扁額】

『更に奥に進みます。仁王像(金剛力士像)が見えます』

【由緒】


【境内案内図】
『広いです』


【子ノ聖大権現ご法難の図】


【仁王像(金剛力士像)】
『色鮮やかな仁王様です』

『駐車場から250m程歩くと、本堂周辺に到着します』

【手水舎】

『東京スカイツリー眺望処があるそうです』

【本坊】

『右折し、更に右折すると本堂があります』

【本堂】



『本堂には飯能市指定有形文化財の木造不動明王立像が安置されているそうです』

【美和観世音】

『本堂の右手前に鉄のワラジとめおと下駄があります』

【鉄のワラジ】
『重さは2トンで日本一です』

『足腰守護の神様の信仰的シンボルになっています』

【めおと下駄】

『本堂の脇を抜け、奥に進みます』

【閻魔堂】

【閻魔様】

『石段を上ると奥の院(鐘楼・釈迦堂)です』

『結構、急な石段です』

【地蔵菩薩】

『更に上ると鐘楼と釈迦堂が見えてきます』

【鐘楼】

【釈迦堂】

【東京スカイツリー眺望処】
『頂上と同じ高さと書かれています』

『子ノ権現の標高は640m、東京スカイツリーが634mなので、なるほどほぼ同じ高さです』

『素晴らしい眺望です』

『残念ながら空気が霞んでいて東京スカイツリーは見えませんでした。空気が澄む冬が良さそうです』


『駐車場の戻る途中、「阿字山打木村治文学碑入口」の標柱が立っていたので行ってみることにしました』

『東屋が見えます』

【東屋】

『その他は文学碑があるだけでした』


【打木村治文学碑】

『枝や葉、幹の色が他と違う木があります。根が剥き出しになっています。大雨が降り、土が流れ出したら倒れてしまわないか心配です』

【地図】
住所:埼玉県飯能市南461
電話:042-978-0050
ホームページ:https://nenogongen.jp/
2021年2月28日投稿
飯能市の子ノ権現《天龍寺》に行って来ました。
国道299号線を走っていると、大小いくつかの案内板を見かけるので以前から気になっていました。
子ノ権現(ねのごんげん)は正式には「大鱗山 雲洞院 天龍寺(だいりんざん うんどういん てんりゅうじ)」と号する天台宗の寺院です。
説明板とホームページによると、由緒は
当山は、延喜11年(911年)6月13日に子ノ聖(ねのひじり)が初めてこの地に十一面観音をお祀りし、天龍寺を創建されたことに始まります。
その後、弟子の恵聖上人が子ノ聖を大権現と崇め、子ノ聖大権現社を建立されました。
子ノ聖は天長9年(832年)子ノ年子ノ月子ノ日子ノ刻に紀伊の国(現在の和歌山県天野)でお生まれになったことから子ノ日丸と呼ばれ、幼い頃より聡明にして仏教に通じ、僧となっては諸国をまわり修行を積まれました。
特に出羽三山において修行を重ね、ある日、月山の頂上に登り、年来読誦する般若心経を取り出し、南無三世仏母般若妙典、願わくば、われ、永く跡を垂るべき地を示し給え。と空高く投げました。すると、そのお経は南へ飛んで、当山の奥の院(経ヶ峰)に降り立ち光を発しました。この光を目当てに当山山麓まで来られ、山を開こうとした聖は、悪魔どもに襲われ火を放たれました。しかし、十一面観音が天龍の姿となって現れ、大雨を降らしその火を消してくれました。
その後、当山で修行教化に励まれた聖は、長和元年(1012年)我、既に化縁つきぬれば、寂光土に帰る。然れども、この山に跡を垂れて、永く衆生を守らん、我、魔火のために腰より下に傷を負い悩めることもあり、よって腰より下に病ある者、誠の心で我を念ずれば、必ず霊験を授けん。能除一切苦。という御誓願を遺し、齢181才で化寂されました。
それ以後、子ノ聖の尊像をお祀りして、足腰守護の神様として広く信仰されることとなりました。
尚「子」には、物事の始まり、全てのものを生み出し育む大本の意味があります。
なのだそうです。
当寺は武蔵野三十三観音霊場第32番札所、関東百八地蔵霊場第十番札所になっています。
『国道299号線のこの看板立っている所から県道395号線(南川上名栗線)に入ります』

【高麗川】

『左に高麗川とは別の細い川を見ながら進みます』

『この案内板とお地蔵様が見えてきたら、もうすぐ左折です』

【地蔵菩薩】

『あと3kmです』

『180度旋回します』

『細い上り坂なので対向車に注意が必要です!』

『あと1kmです』

『駐車場に到着しました』

【駐車場】

『150mくらい進むとお土産屋が見えてきます』

【関東ふれあいの道コース略図】

【二本杉】埼玉県指定天然記念物
『子ノ聖が食事の際、箸代わりに使った杉の枝をここに挿し、それが成長して大木になったと伝えられています。樹齢はおよそ1000年だそうです』

『一本は上部がなくなってしまっています。台風などの自然災害で折れてしまったのでしょうかね』

『根元には二本杉の解説が彫られた石碑と子ノ権現の解説板があります』


【お土産屋】

『奥に進んで行くと、黒門が見えてきます』

【黒門】

【扁額】

『更に奥に進みます。仁王像(金剛力士像)が見えます』

【由緒】


【境内案内図】
『広いです』


【子ノ聖大権現ご法難の図】


【仁王像(金剛力士像)】
『色鮮やかな仁王様です』

『駐車場から250m程歩くと、本堂周辺に到着します』

【手水舎】

『東京スカイツリー眺望処があるそうです』

【本坊】

『右折し、更に右折すると本堂があります』

【本堂】



『本堂には飯能市指定有形文化財の木造不動明王立像が安置されているそうです』

【美和観世音】

『本堂の右手前に鉄のワラジとめおと下駄があります』

【鉄のワラジ】
『重さは2トンで日本一です』

『足腰守護の神様の信仰的シンボルになっています』

【めおと下駄】

『本堂の脇を抜け、奥に進みます』

【閻魔堂】

【閻魔様】

『石段を上ると奥の院(鐘楼・釈迦堂)です』

『結構、急な石段です』

【地蔵菩薩】

『更に上ると鐘楼と釈迦堂が見えてきます』

【鐘楼】

【釈迦堂】

【東京スカイツリー眺望処】
『頂上と同じ高さと書かれています』

『子ノ権現の標高は640m、東京スカイツリーが634mなので、なるほどほぼ同じ高さです』

『素晴らしい眺望です』

『残念ながら空気が霞んでいて東京スカイツリーは見えませんでした。空気が澄む冬が良さそうです』


『駐車場の戻る途中、「阿字山打木村治文学碑入口」の標柱が立っていたので行ってみることにしました』

『東屋が見えます』

【東屋】

『その他は文学碑があるだけでした』


【打木村治文学碑】

『枝や葉、幹の色が他と違う木があります。根が剥き出しになっています。大雨が降り、土が流れ出したら倒れてしまわないか心配です』

【地図】
住所:埼玉県飯能市南461
電話:042-978-0050
ホームページ:https://nenogongen.jp/
2021年2月28日投稿