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酒蔵 あさ開 @岩手県盛岡市

2013年12月9日(月)
十六羅漢(らかん児童公園)の見学を終え、あさ開にやって来ました。
十六羅漢(らかん児童公園)から南西方面へ150m程のところにあります。

僕はお酒が好きです^^
健康診断で肝機能を毎年指摘されるほどwww

しかし、ビール、焼酎、ウイスキー、チューハイが主で、日本酒はあまり飲みません。

でしたが

郷に入っては郷に従え

九州に住んでいた時に焼酎が好きになり

東北に来た今、日本酒を飲む機会が増え、日本酒にちょっと興味が湧いてきました^^

ということで、買って帰ることにしました。

【株式会社 あさ開】
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『敷地内にレストランとショップがあります』
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『種類の違う300mlの瓶を3本(雪渡り494円・純米吟醸525円・大吟醸578円)購入しました。日本酒のことはよく分からないのですが、雪渡りは甘みがあり、純米吟醸と大吟醸はさらりとしていて、飲みやすかったです^^』
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住所:岩手県盛岡市大慈寺町10-34
電話:019-652-3111
ホームページ:http://www.asabiraki-net.jp/
2014年11月19日投稿

十六羅漢(らかん児童公園) @岩手県盛岡市

2013年12月9日(月)
盛岡八幡宮の見学を終え、十六羅漢(らかん児童公園)にやって来ました。
盛岡八幡宮から南西方面へ300m程のところにあります。

盛岡市のホームページによると

江戸時代、盛岡藩の四大飢饉といわれる元禄・宝暦・天明・天保の大凶作によって、領内には多くの餓死者がでました。祗陀寺14世天然和尚は、その悲惨な餓死者を供養するために、十六羅漢と五智如来の合計21体の石仏建立を発願しました。そして領内から浄財の喜捨を募って、1837年(天保8年)工事に着手しました。

下絵は藩の御絵師狩野林泉が描き、石材は市内の飯岡山から切り出し、藩の御用職人の石工7人が3年かかって荒刻みを行い、北上川を舟で渡して、建設場所の祗陀寺末寺の宗龍寺境内に運び入れ、最後の仕上げをしたものといわれています。

こうして起工から13年目の1849年(嘉永2年)、発願した天然和尚の孫弟子にあたる長松寺13世泰恩和尚のときに、ようやく竣工しました。

しかし、宗龍寺は明治維新後に廃寺となり、1884年(明治17年)の大火で寺院も焼失しました。現在は21体の石仏群を残す市の公園となっています。

なのだそうです。

当羅漢は盛岡市指定有形文化財となっています。

『公園を取り囲む形で羅漢像が安置されています』
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【十六羅漢】盛岡市指定有形文化財
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『穏やかな表情で、心が和みます^^』
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『仏様に囲まれているので、安心して子供達が遊べそうな気がしてきます^^』
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【説明板】
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住所:岩手県盛岡市茶畑2-1
電話:019-639-9067(盛岡市役所 歴史文化課)
ホームページ:http://www.city.morioka.iwate.jp/moriokagaido/rekishi/bunkazai/shi_shitei/003376.html(盛岡市)
2014年11月19日投稿

盛岡八幡宮 @岩手県盛岡市

2013年12月9日(月)
旧第九十銀行本店本館《もりおか啄木・賢治青春館》の見学を終え、盛岡八幡宮にやって来ました。
旧第九十銀行本店本館《もりおか啄木・賢治青春館》から南東方面へ1km程のところにあります。

神社人によると、ご由緒は

康平5年(1062年)に、源頼義が安倍氏撃滅を祈願して、石清水八幡を勧請したのが起源。鳩森八幡と称され土地の豪族日戸氏が代々崇敬したという。文禄2年(1593年)南部氏が盛岡城を築城したとき城内鎮守の氏神として再建された。また、南部氏は延宝8年(1680年)八戸より氏神の櫛引八幡を城内鳩森八幡の御旅所のあった現在地に勧請し、これを南部新八幡と称した。明治になり鳩森八幡は新八幡に遷座し、同22年(1889年)からは付近の白山神社を合祀した。

なのだそうです。

ご祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)です。

【正面鳥居】
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【社号標】
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『綺麗で立派な参道ですね』
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【青銅燈籠】盛岡市指定有形文化財
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【御由緒】
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【手水舎】
『「水堀石」といわれる大石です。もともとは岩手郡内北の浦の滝壺にあった石で、流水によって自然にくぼみが形づくられた珍しい石です』
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『馬の絵の額が掲げられた建物があります』
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『御神馬がいました。ユニークな表情ですwww』
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【高倍神社】
『高倍(たかべ)神社に祀られているのは、磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)と四条中納言藤原政朝卿(しじょうちゅうなごんふじわらのまさともきょう)です。この神さまは、醤油や味噌などの調味料や料理、飲食店の守り神として知られています。調理技術によいということから、女性の守り神であり、調理を商売にしている人々の守り神として敬われています。この神さまが祭られているのは関東以北ではこの神社だけです』
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【御祭神の御治績】
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【交通安全神社】
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【歯固めの石】
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『毎年1月15日午前10時、どんと祭が行われます』
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【盛岡天神社】
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【健康神社】
『肺神、肝神、腎神、心神、脾神といった五臓の神のほか、癌神、中風神、健康神、生命神、薬神など、健康にまつわる神々が祀られています』
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『十二支神社や大国・恵比寿社が並んでいます』
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【十二支神社】
『神社名の下に干支が書かれています。僕はねずみ年の出雲神社へ参拝です。おっと!年齢がばれますねw』
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【大国・恵比寿社】
『大国だったり大黒だったり、恵比寿だったり恵毘須だったり、漢字ってややこしいと思うのは僕だけでしょうか』
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『拝殿への階段を上ると、どんと祭の場所、健康神社、十二支神社などが一望できます』
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【拝殿】
『朱色が綺麗で、荘厳な拝殿です^^』
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【神宝殿】
『八幡宮に古くから伝わっている宝物や後世に伝えたい重要な奉納品が数多く保管、 展示されています』
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【笠森稲荷神社社号標】
『盛岡八幡宮の左隣にあります』
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【田村了咲句碑】
『了咲は明治40年盛岡市に生まれ、昭和2年高浜虚子の「ホトトギス」に入門。昭和5年「夏草」創刊により、山口青邨に師事。「楡の杜」「中尊寺馬車」など句集を発表。昭和55年、72歳の生涯を閉じました。参道脇にあります』
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【梅宮】
『安産の神様です。笠森稲荷神社の左手前にあります』
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【笠森稲荷神社】
『笠森稲荷神社は八幡宮が建てられる前から八幡山の山頂に祀られていたそうです』
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【金勢神社】
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【神明社】
『延暦の昔、坂上田村麻呂が盛岡の仁王に建てたのがはじまりです。元禄時代には煙草丁(現在の明神町)に、その後八幡山にと移されました。明治17年(1884年)盛岡の大火により焼失しましたが、昭和43年(1968年)明治維新100年を記念して現在の地に祀られました』
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『盛岡八幡宮と笠森稲荷神社参道入口の間に、明治天皇御聖像・御聖跡碑が立っています』
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【北側鳥居】
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【北側社号標】
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【岩手護國神社鳥居】
『笠森稲荷神社の左隣にあります』
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【岩手護國神社御由緒】
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【岩手護國神社】
『戦争で亡くなられた岩手県に関係する人々の魂をお祀りしている神社です。始まりは、明治2年、当時の県知事である南部利恭によって、岩手郡東茶野畑(現在の盛岡市内)に社殿が建てられたことによります』
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【霊璽簿奉安殿】
『岩手護国神社に祭られている戦没者と遺族の名前を記した名簿を保管しています』
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【平和の塔】
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【戦没者遺骨奉安殿鳥居】
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【戦没者遺骨奉安殿】
『身寄りのない戦没者の遺骨を安置しています』
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住所:岩手県盛岡市八幡町13−1
電話:019-652-5211
ホームページ:http://www.morioka8man.jp/
2014年11月17日投稿
プロフィール

keny72

Author:keny72
4人家族で埼玉県志木市に在住。暇さえあれば、計画そこそこ、行き当たりばったりのぶらり散歩に出かける、アラフィフ放浪オヤジですwww

転勤で2013年4月から2018年3月の5年間、秋田県で単身赴任していたので東北地方の記事が多いです。

更新はかなりのんびりです(ブログタイトル通り)

ご近所散策、食べ物のネタが多いです。

更新が遅い故、季節外れの記事が多くなってしまいますが、その辺は大目に見て頂きたくお願い申し上げますm(__)m

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