妙蓮寺 @神奈川県横浜市港北区
2012年12月13日(木)
今日は菊名に用事があったので、昼休み時間を使って菊名駅周辺を散策してみることにしました。
東急東横線の菊名駅から横浜寄りの次の駅に「妙蓮寺」という駅があります。
電車内から山門が見えるので、駅名になる程のお寺とはどんなお寺なのか気になっていたので、行ってみることにしました。
当寺は正式には「長光山 妙蓮寺」と号する日蓮宗の寺院です。
妙蓮寺駅の踏切傍にあった縁起によると
『当山は、日蓮宗大本山池上本門寺の末寺で、長光山妙蓮寺と言う。お祀りする日蓮聖人のご尊像は、池上本門寺第二祖日朗上人の九鳳の一人、日像上人の作である。当山の前身は観応元年開山大経院妙仙寺であり、今の横浜市神奈川区新明町にあったが、明治四十一年横浜鉄道臨港線引き込み線敷設に際して止むなく移転となり、当時の住職第四十一世慈性院日體上人は池上本門寺の末寺浄寿山蓮光寺を移転先に選んだ。蓮光寺は天正年間正乗院日運上人が池上本門寺第十二世日惺上人を請じて開山とし、自らは第二世となり創設した寺院である。そして両山は明治四十一年八月八日この地に合併開山し、妙仙寺の「妙」と蓮光寺の「蓮」を合わせて「妙蓮寺」と改め日體上人が第一世となった。妙蓮寺第二世慈開院日偉上人は、大正十五年東京横浜電鉄の開通による境内の軌道敷設に快諾し、妙蓮寺境内を無償で提供する。ここに妙蓮寺駅ができ、付近一帯の発展に寄与した。昭和四十四年、妙蓮寺第三世慈篤院日仙上人は、宗祖御降誕七五〇年を記念し、五年の歳月をかけて現在の本堂と客殿を完成し、その後、庫裏、客殿を増築した。平成二十年、当山現住職第四世日英は境内整備、墓地区画整理を完了し現在に至る』
なのだそうです。
【山門】

『山門をくぐると、正面に本堂が見えます』

【神明地蔵尊】
『山門をくぐって、すぐ右手にあります』


【鐘楼】

【石碑】

【本堂】


『梅が咲いていました。随分と早いですね』


【本堂の左側】

『本堂の右側に立派な松が立っています』

『本堂の奥には滝があります。人工の滝だと思いますが・・・』

『妙蓮寺駅前に当寺の縁起の説明がありました』


住所:神奈川県横浜市港北区菊名2-1-5
電話:045-431-4411
ホームページ:http://myorenji.jp/
2013年10月27日投稿
今日は菊名に用事があったので、昼休み時間を使って菊名駅周辺を散策してみることにしました。
東急東横線の菊名駅から横浜寄りの次の駅に「妙蓮寺」という駅があります。
電車内から山門が見えるので、駅名になる程のお寺とはどんなお寺なのか気になっていたので、行ってみることにしました。
当寺は正式には「長光山 妙蓮寺」と号する日蓮宗の寺院です。
妙蓮寺駅の踏切傍にあった縁起によると
『当山は、日蓮宗大本山池上本門寺の末寺で、長光山妙蓮寺と言う。お祀りする日蓮聖人のご尊像は、池上本門寺第二祖日朗上人の九鳳の一人、日像上人の作である。当山の前身は観応元年開山大経院妙仙寺であり、今の横浜市神奈川区新明町にあったが、明治四十一年横浜鉄道臨港線引き込み線敷設に際して止むなく移転となり、当時の住職第四十一世慈性院日體上人は池上本門寺の末寺浄寿山蓮光寺を移転先に選んだ。蓮光寺は天正年間正乗院日運上人が池上本門寺第十二世日惺上人を請じて開山とし、自らは第二世となり創設した寺院である。そして両山は明治四十一年八月八日この地に合併開山し、妙仙寺の「妙」と蓮光寺の「蓮」を合わせて「妙蓮寺」と改め日體上人が第一世となった。妙蓮寺第二世慈開院日偉上人は、大正十五年東京横浜電鉄の開通による境内の軌道敷設に快諾し、妙蓮寺境内を無償で提供する。ここに妙蓮寺駅ができ、付近一帯の発展に寄与した。昭和四十四年、妙蓮寺第三世慈篤院日仙上人は、宗祖御降誕七五〇年を記念し、五年の歳月をかけて現在の本堂と客殿を完成し、その後、庫裏、客殿を増築した。平成二十年、当山現住職第四世日英は境内整備、墓地区画整理を完了し現在に至る』
なのだそうです。
【山門】

『山門をくぐると、正面に本堂が見えます』

【神明地蔵尊】
『山門をくぐって、すぐ右手にあります』


【鐘楼】

【石碑】

【本堂】


『梅が咲いていました。随分と早いですね』


【本堂の左側】

『本堂の右側に立派な松が立っています』

『本堂の奥には滝があります。人工の滝だと思いますが・・・』

『妙蓮寺駅前に当寺の縁起の説明がありました』


住所:神奈川県横浜市港北区菊名2-1-5
電話:045-431-4411
ホームページ:http://myorenji.jp/
2013年10月27日投稿