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膝折不動尊《膝折不動明王》 @埼玉県朝霞市

2012年11月10日(土)
一乗院《朝霞観音》の見学を終え、膝折不動尊《膝折不動明王》にやって来ました。
一乗院から直線距離だと200m程南下したところにあります。
旧川越街道の一乗院参道入口から50m程南下すると、左に細い旧道があります。そこを左折して30m程緩い坂道を上るとあります。

膝折と名前が付いていますが、現在の住所では膝折町ではなく、朝霞市幸町2-7に鎮座しています。

『この細い坂道を上って30m程のところです。道なりに進むと朝霞警察署前交差点で、国道254号線(川越街道)に繋がります』
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【膝折不動尊】
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【膝折不動明王】
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『余談ですが、膝折不動尊から更に20m程進んでみたところ、左手に牧場がありました。ここは町工場や住宅地が混在しており、住宅密集地ではないですが、こんなところに牧場!と、ちょっと驚きでしたwww たぶん牧場の方が先にあり、後から周りに住宅ができたんだと思いますけどね』
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『牧場ですから当たり前ですが、牛さんがいました^^』
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所在地:埼玉県朝霞市幸町2-7-30付近
2013年1月27日投稿

一乗院《朝霞観音》 @埼玉県朝霞市

2012年11月10日(土)
膝折宿脇本陣の見学を終え、一乗院《朝霞観音》にやって来ました。
膝折宿脇本陣から旧川越街道を150m程南下すると、看板と寺号標が立つ参道入口があります。
参道を100m程進むと一乗院があります。

一乗院は正式には「並流山 一乗院 平等寺」と号する真言宗智山派の寺院です。

当寺の縁起は、ホームページによると

江戸時代は膝折の観音寺と言われた。山号を並流山と号し、現在は蓋をされてその面影はないが、朝霞警察署の上方より小川が流れ黒目川に注いでいた川と、朝霞第一中学校と緑ケ丘の浄水場の間を流れ、膝折の長寿庵付近で地下に潜り(末無し川と呼ぶ)閻魔堂付近から再び湧き出て、黒目川に注いでいる小川が平行して流れていたので、その間のお寺と言う事で並流と称し山号とした。
院号は一乗院、寺号は平等寺という。一乗の一とは唯一無二の教えと言われる仏教の事で、乗とは衆生(人々)を乗せて覚りに赴かせるという意である。

膝折の名は、寺の前坂で馬が膝を折ったという「鬼鹿毛」伝説との関連で語られる。膝折と言う名が著わされる古い記録は、1468年(文明18年)に京都聖護院門跡の道興准后が著した紀行文の「廻国雑記」で、当時膝折の名物の竹篭(かっけ)を詠み込んで、「商人は いかで立つらん膝折の 市にかっけ(脚籠)を 売るにぞ有ける」と膝折の地名をかっけ脚籠の掛け言葉にした和歌を詠んでいる。約500年以上前にすでに市の開かれている膝折集落のあった事が知られる。

当寺の開山年月日は不詳であるが、鎌倉時代から室町時代に造立された板碑(朝霞市指定有形文化財)が、150基程出土した事を勘案すると室町時代後期と推定される。
又「この地の開闢は、先人の伝える所に依れば、古き世の事なり。昔高麗の城陥りし時、主将敵のために討たれ軍ぬ、家臣遁れ出て落人となりこの地へ来たれリ。彼の者力を合わせて家をつくり、今その子孫分かれて住せり」と新編武蔵風土記に記されている。

そして京都宇治の醍醐山の尊師によって、都より十一観世音菩薩を勧請し、乱世の平和に立ち還かえる事を冀い願い、余の人々の後生と菩提を願って守り本尊とし、一宇を建立したのが始まりであり、それ開基とする。

その後江戸年間に間口七間、奥行き五間の本堂が建立された。以後寺門は暫時整備され、本堂前に大日堂、左手に地蔵堂が建立された。その後時の太閤の命により稲荷社が配された。膝折氷川神社は住職が別当職であった。又膝折宿に持明院があり、その奥に薬師堂、現閻魔堂(朝霞最古の薬師木像(室町年間作))があり、一乗院を上寺、持明院を下寺と呼称していた。因みに今の中村屋住宅設備機器(株)(水道工事店)付近を大門と呼んでいる。(現在は閻魔堂のみ現存)

安政年間に火災に遭い、古文書関係が焼失してしまったが、過去帳だけは残り、江戸初期の壇徒の法号(戒名)が記されている。寺子屋も行われており、明治時代になり学校令によって、膝折学校が設置された。その後一乗院の客殿が学校の役目を果たしていた。30年後現在の場所に移され、朝霞市立第一小学校の前身であった。

なのだそうです。

【参道入口】
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【寺号標】
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【山門(仁王門)】
『両脇には凛々しい金剛力士像が立っています』
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【 阿形(あぎょう)】
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【吽形(うんぎょう)】
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【一乗院の板石塔婆説明板】朝霞市指定有形文化財
『山門の傍に立っています』
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『山門をくぐると、左手には地蔵堂、聖観世音菩薩(慈母観音)、鐘楼があります』
【地蔵堂】
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【聖観世音菩薩(慈母観音)】
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【アカマツ】
『聖観世音菩薩(慈母観音)の前に立派なアカマツが生えています』
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【鐘楼】
『正午丁度に鐘が鳴ったのですが人がいません???不思議に思いじっと眺めていたら、橦木が天井から吊るされている縄とは別のワイヤーに引っ張られ、鐘を突いていました。鐘を突くのも今では自動なんですねw』
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『山門をくぐると、右手には厄除身代地蔵尊、横山久子之碑、板石塔婆保管庫(?)、興教大師像、弘法大師像などがあります』
【厄除身代地蔵尊】
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【横山久子之碑】
『横山久子先生は膝折学校が併設されていた時、埼玉県内では初めて(に近い)の女性教師なのだそうです』
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【板石塔婆保管庫(?)】朝霞市指定有形文化財
『傍に「朝霞市指定文化財 板石塔婆」と彫られた標柱が立っていたので、この中にあるのだと思います』
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【興教大師(こうぎょうだいし)《覚鑁上人(かくばんしょうにん)》像】
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【弘法大師(空海上人)像】
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【説明板】
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『本堂の前に松の木などが生え、木の下に膝折学校発祥之地碑、香炉があります』
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【膝折学校発祥之地碑】
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【香炉】
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【本堂】
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『本堂の裏に幼稚園が併設されていて、本堂右手に入園口があるのですが・・・』
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『入園口の傍にこんなものが・・・これドラえもん???ですよね。目玉が飛び出していて、怖いんですが(--;』
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『本堂右手の斜面が墓地になっており、一番上に朝霞観音があります』
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【朝霞観音】
『ホームページによると
昭和63年12月18日現董が先代照與和上追薦の為に建立聖置を発願し、石造仏師長岡和慶師に依頼し造像しました。像の本体は高さ3メートル余りで、全体で5メートルを越す石像です。大本山高尾山薬王院の31世貫首「山本秀順大僧正猊下」に命名して頂きました。
なのだそうです』
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『墓地内にも立派な松の木などが生えていました』
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住所:埼玉県朝霞市膝折町1-16-17
電話:048-461-0247
ホームページ:http://www.asahi-net.or.jp/~yw4s-stu/
2013年1月26日投稿

膝折宿脇本陣 @埼玉県朝霞市

2012年11月10日(土)
一乗院閻魔堂の見学を終え、膝折町1丁目交差点まで戻り、再び旧川越街道を400m程南下すると、現在も姿を留めている膝折宿脇本陣があります。
但し現在は民家ですので内部を見ることはできません。

膝折宿は川越街道四番目の宿場町で、平林寺や川越の仙波東照宮への参拝者、川越藩の参勤交代などで賑わったそうです。

脇本陣とは本陣に入りきらなかった大名の家臣などが泊まる予備施設で、ここは高麗家「村田屋」という旅籠でした。

【膝折宿脇本陣(村田屋)】
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【標柱】
『かなり読みづらいですが「村田屋 旧膝折宿脇本陣」と書かれています』
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『脇本陣から50m程北方面のところ、現在膝折郵便局がある場所に本陣(牛山家)があったそうです』
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【膝折宿略図】
膝折宿略図
【市民フォーラムからお借りしました】

所在地:埼玉県朝霞市膝折町1-14-23
2013年1月26日投稿
プロフィール

keny72

Author:keny72
4人家族で埼玉県志木市に在住。暇さえあれば、計画そこそこ、行き当たりばったりのぶらり散歩に出かける、アラフィフ放浪オヤジですwww

転勤で2013年4月から2018年3月の5年間、秋田県で単身赴任していたので東北地方の記事も多いです。

再び転勤で2023年4月から石川県金沢市で単身赴任しているので、2023年4月以降は北陸地方の記事が多くなる予定です。

更新が遅い故、季節外れの記事が多くなってしまいますが、その辺は大目に見て頂きたくお願い申し上げますm(__)m

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