円通寺 越生七福神めぐり③寿老人 @埼玉県入間郡越生町

2012年6月30日(土)
戸神の代官屋敷の見学を終え、円通寺にやって来ました。
越生自然休養村センターの傍にあります。

円通寺は正式には「大護山 円通寺(だいごさん えんつうじ)」と号する曹洞宗の寺院です。

当寺の縁起等は、説明板やホームページによると

当寺は龍ケ谷にある龍穏寺の末寺でご本尊は釈迦如来です。その他、観音菩薩、薬師如来、延命地蔵尊、水子地蔵尊が安置されています。

永享年間(1429~1441年)龍隠寺二世月江正文禅師の時、龍隠寺が兵火の為堂宇すべてを焼失し、戦の最中人でも資材も集まらず禅師一人の力では再建も及ばず、むなしく寺を出て、しばらく小杉村に退棲しました。そこが今の円通寺の始まりと言われています。(武蔵野風土記より)

寛文年間(1661~1673年)小金井万衛門が開基、龍穏寺第二十二世鉄心御州禅師が開山したと伝えられています。二十七世馥州高郁禅師が円通寺の法灯を護持しました。因みに高郁禅師は毛呂山町川角井上氏出生で孫弟子に良寛和尚がいます。

その後、曹洞宗、臨済宗、無住を繰り返し、円通寺四世大勇慈猛禅師は龍穏寺監寺役(現在の副住職)として、龍穏寺第四十八世天産慧苗禅師を補佐し、後に師に勧請し、円通寺伝法開山とし再興しました。

永享年間の月江正文禅師、寛文年間の鉄心御州禅師、天和年間(1681~1683年)の馥州高郁禅師、天明年間(1781~1788年)の天産慧苗禅師、大勇慈猛禅師は歴史に残る当寺の名僧です。
 
円通寺の堂宇は大正十三年焼失の悲運に遭い、昔日の面影を失ってしまいましたが、昭和十一年檀信徒の協力を得て、本堂庫裏、薬師堂を復元して現在に至っています。

なのだそうです。

当寺には寿老人が祀られています。
【寿老人】
老子の化身で1500歳の超長寿を全うした長寿、福禄の中国の神様です。

『円通寺への途中、道路脇にいつくか石仏が立っていました』
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【山門】
『越生自然休養村センターの左脇を100m程進むと見えてきます』
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【寺号標】
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【寿老人の看板など】
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【本堂】
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『「運も実力のうち」って言いますが、努力しない人に運は付いて来ないですよねwww』
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【ご本尊(釈迦如来)】
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【医王殿】
『本堂右手前にあります』
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【水子地蔵菩薩】
『本堂左手前にあります』
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『山門を入ると右手には禁葷酒の石碑、石仏、地蔵菩薩があります』
【禁葷酒の石碑】
『「禁葷酒」とは何ぞやと思い調べてみたところ、「葷」は五葷(ネギ、ラッキョウ、ニンニク、アサツキ、ニラ)の臭いのきつい食べ物のことだそうで、肉も含め葷や酒を飲食した人は立ち入ってはいけないという意味らしいです。が!現在そこまで厳格なんでしょうかね?僕の同級生にお坊さんがいます。以前よく中華料理屋に一緒に行き、餃子をバクバク喰い、酒もガンガン飲んでいました。ちなみに女も大好きなやつでしたwww 僕らは当然「生臭坊主」と呼んでいましたがwww』
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【石仏】
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【地蔵菩薩】
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『山門の左手に飼育小屋があるのですが、中には何もおらず、何を飼っているのか分りませんでした』
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【縁起】
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住所:埼玉県入間郡越生町小杉306
電話:049-292-2814
ホームページ:http://www1.tcat.ne.jp/entsuuji/index.htm
2012年8月13日投稿

戸神の代官屋敷 @埼玉県入間郡越生町

2012年6月30日(土)
龍穏寺の見学を終え、戸神の代官屋敷にやって来ました。

当屋敷は龍穏寺の寺代官を務めた宮崎家の屋敷跡です。室町時代の名将・太田道真(どうしん)、道灌(どうかん)父子により中興された龍穏寺は、江戸時代、下野大中寺(しもつけだいちゅうじ)、下総総寧寺(しもうさそうねいじ)とともに江戸幕府から関三刹(かんさんせつ)に任ぜられ、全国の曹洞宗寺院の統制をしていたそうです。
当時の龍ヶ谷村(たつがやむら)は全村が龍穏寺の所領で、江戸詰の住職に代わって寺領を差配し名主を世襲していたのが宮崎家でした。母屋は桁行十間、梁行四間半で建坪は四十五坪以上あります。正面に庭園を望む式台を構えた玄関が、権威をふるった「戸神のお代官」の往時を偲ばせます。
また、大黒柱には、慶応二年(1866年)に起きた武州一揆(名栗騒動)の際につけられた傷跡が残っています。

『入口に1台分のみ駐車場があります。あれれ・・・はみ出てますねwww 運転技術が未熟なものですいませんm(_ _)m写真左の細い道を進むと代官屋敷です』
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『60mと近いです』
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『1分程で代官屋敷に到着です』
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【代官屋敷】
『屋敷周囲にロープが張られ立ち入り禁止になっていますが、建物の保存措置がなされておらず、荒れていて壁が剝がれたままになっています。歴史がある建物なのでしょうから、修繕した方がよろしいかと・・・町の懐事情もあるのでしょうがwww』
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【井戸跡】
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【説明板】
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所在地:埼玉県入間郡越生町龍ケ谷120
2012年8月10日投稿

龍穏寺 越生七福神めぐり②毘沙門天/龍ケ谷熊野神社 @埼玉県入間郡越生町

2012年6月30日(土)
全洞院の見学を終え、龍穏寺にやって来ました。
全洞院から、今来た県道61号線を引き返し北上、下ヶ戸薬師を過ぎたところで龍穏寺方面へ左折。龍ケ谷川に沿い、西方面へ約2km進むとあります。

詳細は下記記載の前回の記事をご覧いただければと思います。またまた、手抜きですいませんm(_ _)m

当寺には毘沙門天が祀られています。
【毘沙門天】
仏教で持国天、増長天、広目天と並ぶ四天王の一人で、北方を守護し財宝、富貴を司るインドの神様です。

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2012年8月10日投稿

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2011年8月13日(土)
野末張見晴台の見学を終え、林道を下って行くと龍穏寺と熊野神社がありました。
予定には入れていなかったのですが、立派な建物が見えたので興味を魅かれ寄ってみることにしました。

龍穏寺は正式には「長昌山 龍穏寺」と号する曹洞宗の寺院です。

説明板によると
龍穏寺は永享の頃(1429~1441年)に将軍足利義教が上杉持朝に命じて尊氏以来の先祖の冥福と戦乱に果てた人々の霊を弔うために創立したもとの言われる。しかし、その後兵火にかかったので、文明四年(1472年)に太田道真、道灌父子によって再び建て直された。天正十八年(1590年)には豊臣秀吉からご朱印百石を受け、次いで慶長十七年(1612年)には徳川幕府から、曹洞宗の関東三か寺を命ぜられ、国内二十三カ国の曹洞宗の寺院の世話をした。また、江戸に寺地を賜わり住職はそこに常駐して公務を勤めたという。宝暦二年(1752年)に火災によって堂塔を焼失し、天保十二年(1842年)に再建した。しかしながら大正二年の火災によって、山門、経蔵、熊野社を残して全焼し、現在ある本堂は戦後再建したものである。
との事です。

由緒ある寺院なんですね。寄ってみて良かったです^^

江戸城を築城した太田道灌ゆかりの寺院であることから江戸城の外濠の石、太田道真、道灌父子のお墓、埼玉県指定有形文化財の銅鐘や経蔵(経堂)など見所が多いです。

当寺は越生七福神の1つ(毘沙門天)です。

『入口からして趣のある雰囲気です』
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『1つ目の門をくぐり右に折れると立派な山門が見えます』
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【山門】
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『山門をくぐると右手にありました。この時初めて越生七福神があることを知りました』
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【江戸城外濠の石】
『江戸城外濠に架かる神田橋橋台に使用されたものを、首都高速道路開設の際、間組により取り外され、日高町楡木新井巧二氏の好意によって寄贈されたものだそうです』
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【太田道灌公像】
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【鐘楼】
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【銅鐘】埼玉県指定有形文化財
『一般的な和鐘は背中合わせに二頭の竜を置くのに対して、この和鐘は一頭の竜に旗挿(はたさし)という筒を配する朝鮮鐘の特徴を備えているそうです。高さ166.7cm、口径78cmです』
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【本堂】
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『本堂の左手の石段を上ると太田道真、道灌のお墓があります』
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【太田道真・道灌の墓】
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【経蔵(経堂)】埼玉県指定有形文化財
『第56代住職道海和尚により天保年間(1830~40年)に建立され、唐破風向拝付土蔵造り、屋根は方形で銅板葺き。外壁は道元禅師一代記の彫刻、向拝天井に酒井抱一による龍の絵が描かれており、内部には一切経を納める輪蔵と輪蔵の創始者といわれる傅大士(ふだいし)の像がある。県内には、これだけの規模と構造を持ち、傅大士の像を備えた輪蔵を持った経蔵は他に類例がなく、埼玉県の建築史上貴重な建造物なんだそうです』
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『経蔵の壁には立派な彫刻が埋め込まれています』
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【龍ケ谷熊野神社】
『龍穏寺の敷地内に熊野神社がありました。右奥に見える建造物は龍穏寺山門です』
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【鳥居】
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『手前が熊野社、奥に見える建造物は龍穏寺経蔵です』
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【拝殿】
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『龍穏寺、熊野神社の傍には綺麗な龍ケ谷川が流れていました』
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住所:埼玉県入間郡越生町龍ケ谷452
電話049-292-3855
2011年9月1日投稿
プロフィール

keny72

Author:keny72
4人家族で埼玉県志木市に在住。暇さえあれば、計画そこそこ、行き当たりばったりのぶらり散歩に出かけてしまう、もうすぐアラフィフの放浪オヤジですwww
2013年4月に秋田県に転勤、単身赴任することになりました。
なるべくお金をかけずに日常生活の楽しかったことを書こうかなと思っています。
ただ、更新はかなりのんびりだと思いますw(ブログタイトル通り)
ご近所散策、食べ物のネタが多くなるかもしれません。

猫好き、猫みたいに気ままな性格ですwww

更新が遅い故、季節外れの記事が多くなってしまいますが、その辺は大目に見て頂きたくお願い申し上げますm(__)m

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