正法寺 越生七福神めぐり⑦大黒天 @埼玉県入間郡越生町
2020年4月9日(木)
越生子ノ権現/越生神社の見学を終え、正法寺にやって来ました。
正法寺は正式には「大慈山 正法寺(だいじさん しょうぼうじ)」と号する臨済宗建長寺派の寺院です。
縁起書きによると
大慈山正法寺は臨済宗鎌倉建長寺の末寺である。幾度かの火災により旧記が失われ寺歴の詳細は不明であるが、鎌倉時代の創建で、貞和年間(1345~50年)に足利尊氏が中興したと伝えられている。
本尊の木造聖観音菩薩坐像は、南北朝期の仏像の典型的な様式を伝える法衣垂下像の優品である。
本堂脇の閻魔堂は、龍ヶ谷の龍穏寺の坐禅堂を移築したものである。閻魔像の台座は、越生まつりに巡行する新宿町の山車に、かつて載せられていた人形台座の転用である。また、閻魔堂の前に立つ板碑は文永4年(1267年)の造立と推定される町内では最古級の板碑である。
正法寺では江戸時代から寺子屋が開かれ、学制頒布後もしばらくは「正法寺の学校」と呼ばれ存続していた。明治10年(1877年)に師匠の第27世住職大道碩圓を顕彰し、弟子たちが建てた寿塔の台石には「生徒名簿」が刻まれている。
山門と閻魔堂の額は幕末三舟の一人、山岡鉄舟の書である。
なお、ここ一帯の地名「入定場」は、僧侶が食と水を断って「活仏」(即身仏)になる「入定」が行われていたことに由来するという。山門裏手には「入定塔」が立っている。
なのだそうです。
入比板東三十三ヶ所観音霊場第24番札所、武州八十八ヶ所霊場第2番札所です。
当寺には大黒天が祀られています。
【大黒天】
食物、財福を司るインドの神様です。
越生七福神めぐりを始めて約8年、漸く完結しましたwww
途中の5年間秋田県に赴任していたことも大きな要因ですが、七福神めぐり以外にも魅力的な場所がたくさんあるので、あちこち寄り道をしていたら、1日で1箇所しか行けない時もあったりして、時間が掛かりました。
『正法寺に向かう道すがら山を眺めると桜がまだ咲いていました。我が家周辺の桜は既に散っていますが、山なので平地に比べると咲くのが少し遅いようです』

『暑くもなく寒くもなく、歩くには最適な陽気です(^^)』

『右に下る道を進むと正法寺です。写真左に真っ直ぐ進むと世界無名戦士之墓に行くことができます。越生町役場からさくらの山公園を通過し、徒歩で山を登らなければ行けないのかと思っていました。案外近くまで車で行けるようです』

『正法寺境内の南側に到着しました。写真正面に見えるのが山門です。折角なので参道正面側(東側)から山門をくぐりきちんとお参りすることにしました』

【正面参道】

『「幕末の三舟(勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟)」のひとり、山岡鉄舟と縁があるお寺なんですね。越生七福神の大黒天を目当てに来たのに、歴史が得意ではない僕でも知っている足利尊氏や山岡鉄舟と縁があることは、当寺に来て今日知りました。下調べをあまりしないぶらり旅の面白いところです(^^)その代わり、たまに大事なポイントを見逃す事がありますがwww』

『山門と閻魔堂の扁額は鉄舟の揮毫です』

【山門】

【扁額】
『山岡鉄舟揮毫です』

『参道脇に六地蔵菩薩などが並んでいます』

【縁起】

【六地蔵菩薩】

『越生七福神の大黒天を祀っています』

【子育て地蔵】

『大道東堂塔と文字が刻まれていますが、どのような意味があるのか分かりませんでした』



【本堂】

【扁額】

【本堂・庫裡】

【庫裡】

『本堂の左奥に閻魔堂が建っています』

【閻魔堂】
『閻魔大王と共に大黒天が祀られています』

『閻魔堂に左手前に文永4年(1267年)の造立と推定される町内で最古級の板碑が立っています』

【閻魔大王・大黒天】
『閻魔大王の前面に大黒天が祀られています。初めて見る配置です。貴重かも知れません(^^)』

【大黒天の顔出しパネル】

『本堂前の桜が綺麗です!』


『正法寺の東側すぐ傍にチャッパンナランシー埼玉寺院という、どう見ても一軒家の寺院がありました』

『どうやらタイのお寺の分院の様です』

【地図】
住所:埼玉県入間郡越生町越生960
電話:049-292-2725
ホームページ:https://www.shoubouzenji.jp/
2022年7月25日投稿
越生子ノ権現/越生神社の見学を終え、正法寺にやって来ました。
正法寺は正式には「大慈山 正法寺(だいじさん しょうぼうじ)」と号する臨済宗建長寺派の寺院です。
縁起書きによると
大慈山正法寺は臨済宗鎌倉建長寺の末寺である。幾度かの火災により旧記が失われ寺歴の詳細は不明であるが、鎌倉時代の創建で、貞和年間(1345~50年)に足利尊氏が中興したと伝えられている。
本尊の木造聖観音菩薩坐像は、南北朝期の仏像の典型的な様式を伝える法衣垂下像の優品である。
本堂脇の閻魔堂は、龍ヶ谷の龍穏寺の坐禅堂を移築したものである。閻魔像の台座は、越生まつりに巡行する新宿町の山車に、かつて載せられていた人形台座の転用である。また、閻魔堂の前に立つ板碑は文永4年(1267年)の造立と推定される町内では最古級の板碑である。
正法寺では江戸時代から寺子屋が開かれ、学制頒布後もしばらくは「正法寺の学校」と呼ばれ存続していた。明治10年(1877年)に師匠の第27世住職大道碩圓を顕彰し、弟子たちが建てた寿塔の台石には「生徒名簿」が刻まれている。
山門と閻魔堂の額は幕末三舟の一人、山岡鉄舟の書である。
なお、ここ一帯の地名「入定場」は、僧侶が食と水を断って「活仏」(即身仏)になる「入定」が行われていたことに由来するという。山門裏手には「入定塔」が立っている。
なのだそうです。
入比板東三十三ヶ所観音霊場第24番札所、武州八十八ヶ所霊場第2番札所です。
当寺には大黒天が祀られています。
【大黒天】
食物、財福を司るインドの神様です。
越生七福神めぐりを始めて約8年、漸く完結しましたwww
途中の5年間秋田県に赴任していたことも大きな要因ですが、七福神めぐり以外にも魅力的な場所がたくさんあるので、あちこち寄り道をしていたら、1日で1箇所しか行けない時もあったりして、時間が掛かりました。
『正法寺に向かう道すがら山を眺めると桜がまだ咲いていました。我が家周辺の桜は既に散っていますが、山なので平地に比べると咲くのが少し遅いようです』

『暑くもなく寒くもなく、歩くには最適な陽気です(^^)』

『右に下る道を進むと正法寺です。写真左に真っ直ぐ進むと世界無名戦士之墓に行くことができます。越生町役場からさくらの山公園を通過し、徒歩で山を登らなければ行けないのかと思っていました。案外近くまで車で行けるようです』

『正法寺境内の南側に到着しました。写真正面に見えるのが山門です。折角なので参道正面側(東側)から山門をくぐりきちんとお参りすることにしました』

【正面参道】

『「幕末の三舟(勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟)」のひとり、山岡鉄舟と縁があるお寺なんですね。越生七福神の大黒天を目当てに来たのに、歴史が得意ではない僕でも知っている足利尊氏や山岡鉄舟と縁があることは、当寺に来て今日知りました。下調べをあまりしないぶらり旅の面白いところです(^^)その代わり、たまに大事なポイントを見逃す事がありますがwww』

『山門と閻魔堂の扁額は鉄舟の揮毫です』

【山門】

【扁額】
『山岡鉄舟揮毫です』

『参道脇に六地蔵菩薩などが並んでいます』

【縁起】

【六地蔵菩薩】

『越生七福神の大黒天を祀っています』

【子育て地蔵】

『大道東堂塔と文字が刻まれていますが、どのような意味があるのか分かりませんでした』



【本堂】

【扁額】

【本堂・庫裡】

【庫裡】

『本堂の左奥に閻魔堂が建っています』

【閻魔堂】
『閻魔大王と共に大黒天が祀られています』

『閻魔堂に左手前に文永4年(1267年)の造立と推定される町内で最古級の板碑が立っています』

【閻魔大王・大黒天】
『閻魔大王の前面に大黒天が祀られています。初めて見る配置です。貴重かも知れません(^^)』

【大黒天の顔出しパネル】

『本堂前の桜が綺麗です!』


『正法寺の東側すぐ傍にチャッパンナランシー埼玉寺院という、どう見ても一軒家の寺院がありました』

『どうやらタイのお寺の分院の様です』

【地図】
住所:埼玉県入間郡越生町越生960
電話:049-292-2725
ホームページ:https://www.shoubouzenji.jp/
2022年7月25日投稿