東京スカイツリー(TOKYO SKYTREE) @東京都墨田区

2013年8月15日(木)
浅草寺の見学を終え、東京スカイツリーにやって来ました。

2012年5月22日に開業したので、1年以上経ちますが、人気はまだまだ凄いようです^^

東京スカイツリーは世界一の自立式の観光タワーであるとともに、地上波デジタル放送の電波塔であり、高さが634mあります。

634mにした理由は、東京・埼玉・神奈川の一部を含む大規模な地域を、昔、武蔵国(むさしのくに)と呼んでいたことから、むさし=634で覚えてもらいやすい数字にしたのだそうです。
確かに覚えやすいですよね。歴史の年号など数字を覚えるのが苦手な僕でもすぐに覚えましたwww

【東京スカイツリー】
『建築中にも見たことがありますが、こんなにノッポになるとはwww』
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『天望デッキ(350m)と天望回廊(450m)があります。天望デッキと天望回廊の料金は別です。大人で天望デッキ当日入場券2060円、天望回廊1030円、合わせて3090円です(詳細は東京スカイツリーのホームページをご覧ください)。世界一高いタワーだけに値段も高いですね~www』
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『飛行機が飛んできました』
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【東京ソラマチ入口】
『子供たちが水遊びをしています。涼しげでいいですね~^^』
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『商業施設などが揃っています』
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『スカイツリーに上る方の列です。家族4人で入場したら約1万円!奥さんに相談したら、そんなお金払ってまで上る必要なし!子供たちも別に上らなくてもいいとのことでしたwww まあ僕も同感。過去いろいろと旅してきましたが、タワー1つに上るのに3000円強の入場料を払ったことはないです。相当高い気がします。建設費が高額なのが理由なのでしょうが・・・ 将来的に投資回収できたら値下げしてくれることを願いますwww』
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『たくさんのお店があります』
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『てっぺんの実物大だそうです』
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『浅草通りで押上商店街のマスコットキャラクター カッパのコタロウくんを見かけました^^)』
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住所:東京都墨田区押上1-1-2
電話:03-5302-3470
ホームページ:http://www.tokyo-skytree.jp/
2014年8月13日投稿

回向院(えこういん) @東京都墨田区

2011年12月20日(火)
今日は両国に用事があり、アポの時間まで30分程余裕があったので、回向院を見学してきました。

当院は正式には「諸宗山 無縁寺 回向院」と称する浄土宗の寺院です。

明暦三年(1657年)江戸史上最悪の惨事となった明暦大火(俗に振袖火事)が起こり、犠牲者は十万人以上、未曽有の大惨事となりました。遺体の多くが身元不明、引取り手のない有様でした。そこで四代将軍徳川家綱は、こうした遺体を葬るため、ここ本所両国の地に「無縁塚」を築き、その菩提を永代にわたり弔うように念仏堂が建立されました。
有縁・無縁、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くという理念のもと、後に安政大地震、関東大震災、東京大空襲など様々な天災地変・人災による被災者、海難事故による溺死者、遊女、水子、刑死者、諸動物など、ありとあらゆる生命が埋葬供養されています。

僕は当院に鼠小僧次郎吉のお墓があるよと上司に教えてもらい、それだけに興味があって来たのですが、他にも沢山の見所があり、もう少し時間をかけてじっくり見学したかったです。

【山門】
『本堂もそうなんですが近代的です』
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『山門の右手にあった回向院の説明板』
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『相撲興行の本場所は天保四年(1833年)から76年間、回向院境内で行われていたそうです』
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『天保四年(1833年)から回向院で相撲興行が行われていたことから、旧国技館は明治四十二年(1909年)にその境内に建設され、大鉄傘(だいてっさん)とも呼ばれ13,000人を収容できる当時最大規模の競技場でした。老朽化により昭和五十八年(1983年)に解体されました。回向院左にある両国シティコアビルの中庭には当時の土俵の位置を示す円形がタイル模様で表示されているそうです。ということは現在の回向院の左側の敷地は元々は回向院の敷地であったということですね。現在はL字型の窮屈な境内になっていますが、以前はそれなりに広い境内だったのでしょうね』
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『山門をくぐると、両脇には竹が並び、参道はきれいに舗装されています。正面が本堂です』
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【力塚】
『参道をまっすぐ進み、本堂の左手前のあります。ホームページの説明によると、日本の国技である相撲は、江戸時代は主として公共社会事業の資金集めのための勧進相撲興行の形態をとっていました。その勧進相撲が回向院境内で初めて行われたのは明和五年(1768年)のことで、寛政年間を経て文政年間にいたるまで、勧進相撲興行の中心は回向院とされてきました。やがて天保四年(1833年)より当院は春秋二回の興行の定場所となり、明治四十二年の旧両国国技館が完成するまでの七十六年間、「回向院相撲の時代」が続いたのです。力塚の碑は、昭和十一年に相撲協会が歴代相撲年寄の慰霊の為に建立したものですが、その後も新弟子たちが力を授かるよう祈願する碑として、現在も相撲と当院とのつながりを示す象徴になっているそうです』
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【聖観音】
『万霊供養塚の上に立っています。力塚の右手にあります』
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【慈母観音】
『本堂から見ての右正面にあります』
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『慈母観音の側に東京都指定有形文化財や東京都指定史跡の説明板のみが掲示されていました。境内のどこかにあるのでしょうが、のんびり探している時間が今日はありません(TT)お時間がある方は是非探して見てくださいw』
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【本堂】
『山門同様近代的です。知らない人が写真だけ見たらお寺だとは思わないでしょうね。僕は最初、この建物は本堂ではなく斎場だと思っていました。でも一般的によく見かける本堂が見当たらないので、この建物が本堂だと気付きましたwww』
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【馬頭観音堂】
『ホームページの説明によると、回向院の境内には、猫の報恩伝説で知られる「猫塚」(文化十三年・1816年)「唐犬八之塚」(慶応二年・1866年)「オットセイ供養塔」(大正十五年)、さらに義太夫協会の「犬猫供養塔」、飼鳥獣商協同組合による「小鳥供養塔」、邦楽器商組合の「犬猫供養塔」など、さまざまな動物の慰霊碑、供養碑があります。このように諸動物の供養が行われることになったのも、当院の成り立ちが、人間はもちろん、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くものであったことからだそうです』
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【馬頭観世音菩薩像】
『馬頭観音堂の中にあります。ホームページの説明によると、回向院の開創間もない頃、将軍家綱公の愛馬が死亡し上意によってその骸を当院に葬ることになりました。その供養をする為、回向院二世信誉貞存上人は馬頭堂を建て自らが鑿をとって刻し安置した馬頭観世音菩薩像は、享保年中(1716~1735年)の頃から「江戸三十三観音」に数えられており、「江戸砂子拾遺」によると、回向院はその二十六番札所と記されています。当院の馬頭観世音菩薩に祈願をこめると、当時最も恐れられた瘧疾(熱病)や疱瘡(天然痘)にかからぬといわれ、時代が下るにつれて諸病平癒の霊験顕かな観音様として、人々の厚い信仰を集めました。幾多の災難にあい当時のものは焼失してしまいましたが、現在も昭和新撰「江戸三十三所観音参り」での第四番札所として今も多くの巡拝者で賑わっているそうです。馬頭観世音菩薩像の周囲にあるのは動物のお墓です』
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『本堂の左手に供養塔や墓石が多数あります』
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【石造海難供養碑】墨田区登録文化財
『説明は下記説明板をご覧いただければと思います。写真は①です。②~⑥は時間がなかったので、またまた割愛w』
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『①「南無阿弥陀仏」海上溺死群生追福之塔 ②溺死四十七人墓 ③「南無阿弥陀仏」勢州白子参州平坂溺死者供養塔 ④紀州大川徳福丸富蔵船溺死人之墓 ⑤勢州白子三州高濱船溺死一切精霊』
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【塩地蔵】
『宝暦七年(1757年)に建立された地蔵菩薩です。右手に錫杖、左手に宝珠を持ち、参詣者は願い事が成就すると塩を供えたことから「塩地蔵」と呼ばれ、親しまれてきたそうです。塩が8袋お供えされていました。本堂と石造海難供養碑の間にあります』
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【鼠小僧次郎吉の墓(鼠小僧供養墓)】墨田区指定民俗文化財
『塩地蔵の右奥にあります。ホームページの説明によると、鼠小僧は寛政九年(1797年)生まれの実在の盗賊であり「武江年表」によると天保三年(1832年)八月十九日に浅草で処刑されています。時代劇で義賊として活躍するねずみ小僧は、黒装束にほっかむり姿で闇夜に参上し、大名屋敷から千両箱を盗み、町民の長屋に小判をそっと置いて立ち去ったといわれ、その信仰は江戸時代より盛んでした。長年捕まらなかった運にあやかろうと、墓石を削りお守りに持つ風習が当時より盛んで、現在も特に合格祈願に来る受験生方があとをたたないそうです。説明書きを読むと、江戸時代は犯罪者には墓を作ることが禁止されていましたが、義賊として歌舞伎や狂言で扱われ人気を博したことから、祈願対象物として墓の必要性が生じ、この供養墓が作られたそうです。ということは、ここに骨が埋まっているということではないのですね。このお墓を見学するのが目的で当院に来たので、ちょっとがっかり・・・』
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【供養碑(欠き石)】
『供養墓の前にある供養碑は別名「欠き石」と呼ばれ、鼠小僧の墓石を欠き、財布や懐に入れておけば金回りが良くなる、あるいは持病が治るとも言われるそうです。入念に欠いておきましたwww』
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【説明書き】
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【猫塚】
『鼠小僧の墓の左に立っています』
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【水子塚】
『ホームページの説明によると、陽の目をみずに葬られた水子の霊を供養するため寛政五年(1793年)、時の老中松平定信の命によって造立されたもので、水子供養の発祥とされているそうです。江戸市民に知られていたこの矩形の板石の塔は、正面に小作りながら端正なお顔の地蔵菩薩坐像が浮彫りされ、その下に「水子塚」という大字が刻まれています。鼠小僧の墓の右奥にあります』
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『水子塚を囲うように、小さい地蔵菩薩と風車が並んでいます』
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【猿若(中村)勘三郎の墓】
『江戸歌舞伎の元祖、初代中村勘三郎の墓です』
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【檀信徒塚】
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住所:東京都墨田区両国2-8-10
電話:03-3634-7776
ホームページ:http://www.ekoin.or.jp/
2012年2月20日投稿

芥川龍之介文学碑 @東京都墨田区

2011年7月28日(木)
吉良邸跡(本所松坂町公園)に置いてあったパンフレットの周辺地図を眺めていて、当地が載っていたので行ってみました。両国公園の隣にある両国小学校の一角にありました。

説明板によると
『芥川龍之介は明治25年(1892年)3月1日、東京市京橋区入船町に新原敬三、ふくの長男として生まれました。辰年辰の日辰の刻に生まれたのにちなんで龍之介と命名されました。生後7ヶ月の時、母ふくが突然発病したために、本所区小泉町15番地(現両国3丁目)に住んでいたふくの長男芥川道章に引き取られ、13歳の時芥川家の養子となりました。
芥川家は旧幕臣で江戸時代からの名家で、道章は教養趣味が深く、文学、美術を好み、俳句や盆栽に親しむとともに南画をたしなみ、一家をあげて一中節を習い、歌舞伎を見物するなど江戸趣味豊かな家庭でした。
本所は龍之介の幼児時から少青年期までの大事な時期を育んだ場所で「大道寺伸輔の半生」「本所両国」などの作品にその一端を見ることができます。龍之介は明治31年回向院に隣接する江東尋常小学校付属幼稚園に入園、翌年同小学校(現両国小学校)に入学しました。明治38年(1905年)府立第三中学校(現両国高等学校)に入学、同43年成績優秀により無試験で第一高等学校第一部乙類に入学しました。その後大正2年東京帝国大学英文科に入学、同5年卒業しました。東大在学中、夏目漱石の門に入り同人雑誌「新思想」「新小説」に優れた短編を発表して文壇に華やかに登場しました。
この文学碑は龍之介の代表作の一つである「杜子春」の一節を引用したものです。この両国の地に成育し、両国小学校で学んだ近代日本を代表する作家、芥川龍之介の人生感を学び氏の文才を偲ぶものとして両国小学校創立115周年の記念事業として、平成2年10月に建立されたものです』

【芥川龍之介文学碑】
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ちなみに道路に掲示してある周辺地図を眺めると、JR総武線と並行する京葉道路の両国二丁目交差点と両国三丁目の丁度中間地点にある歩道橋の付近が「芥川龍之介生育の地」となっていましたが、記念碑などは立っていませんでした。

所在地:東京都墨田区両国4-26 両国小学校敷地の一角
2011年7月31日投稿
プロフィール

keny72

Author:keny72
4人家族で埼玉県志木市に在住。暇さえあれば、計画そこそこ、行き当たりばったりのぶらり散歩に出かけてしまう、もうすぐアラフィフの放浪オヤジですwww
2013年4月に秋田県に転勤、単身赴任することになりました。
なるべくお金をかけずに日常生活の楽しかったことを書こうかなと思っています。
ただ、更新はかなりのんびりだと思いますw(ブログタイトル通り)
ご近所散策、食べ物のネタが多くなるかもしれません。

猫好き、猫みたいに気ままな性格ですwww

更新が遅い故、季節外れの記事が多くなってしまいますが、その辺は大目に見て頂きたくお願い申し上げますm(__)m

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