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菖蒲城址あやめ園 @埼玉県久喜市

2012年6月21日(木)
今日は公休です^^
今年も菖蒲城址あやめ園に行ってきました。
昨年、来た時は5分咲き程度だったので、リベンジです!

と言っても、昨日飲み会で油断して飲み過ぎてしまい、起床したのがお昼過ぎ・・・(TT

途中、食事もしたので、到着したのは15時半でしたwww

2012年は6/10(日)~7/8(日)の期間、あやめ・ラベンダーの「ブルーフェスティバル」が開催されていて、菖蒲総合支所周辺が会場となっています。

昨年は支所前の駐車場からあやめ園まで歩いたのですが、あやめ園前に駐車場があることを昨年知り、今日は時間がなかったので、あやめ園を鑑賞する時はあやめ園前の駐車場、ラベンダーを鑑賞する時は支所前の駐車場を利用しました。

生憎の空模様でしたが、花菖蒲は満開で綺麗でした(^o^ゞ
ラベンダー堤は、まだ時期的に少し早かったようです。

花菖蒲園に行くと「アヤメ・カキツバタ・ハナショウブ」が似ていることから、違いを説明している掲示板をよく見かけますよね。当園にもあり読んだところ、3種類ともアヤメ科・アヤメ属なのであやめ園という名称で、6月のあやめ園は花菖蒲だそうです。

【菖蒲城址あやめ園】
『入園口には旗本内藤屋敷門が設置されています』
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『もちろん協力させていただきます。チャリーン』
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『今日は満開で~す(^o^)お見事!!』
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【ヘメロカリス】
『花菖蒲に負けじとヘメロカリスも咲き誇っています^^』
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『支所前に移動してきました。時刻は既に16時半過ぎ。売店は閉店準備中ですw 昨年はここでいがまんじゅう・塩あんびん餅を買いました。その他のご当地グルメがないか見てみたかったのですが「だんごより花」の僕、だいぶ空が暗くなってきていたので、今回はスルーしました』
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【ポスター】
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【会場案内図】
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【コモンラベンダー系ヒドコート】
『売店傍のラベンダー苑に咲いています』
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【ラベンダー堤 ラバンディン系グロッソ】
『もう1週間後くらいが良かったかもしれませんね』
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【八束緑地あやめ園】
『昨年来た時は、ほとんど咲いていませんでした。今日はこちらも綺麗に咲いていました^^』
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2012年7月23日投稿

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2011年6月9日(木)
菖蒲町にある菖蒲城址あやめ園に行ってきました。
ネットで住所を調べてカーナビをセット。到着したのは久喜市菖蒲総合支所でした。
2011年は6/5(日)~7/3(日)の期間、あやめ・ラベンダーの「ブルーフェスティバル」が開催されていて、菖蒲総合支所周辺が会場となっています。
菖蒲城址あやめ園は支所から500mほど歩きますので、歩くのが嫌だという方はあやめ園前にある駐車場(ただし駐車できる台数は20台程度で少ないです)かブルーフェスティバル開催期間中のみ設置される臨時バス亭を利用されることをお勧めします。
梅雨の時期で曇りがちだったので暑さを感じず気持ちよく歩けましたが、晴天だったらちょっと暑いかもしれませんw

【菖蒲城址あやめ園】
『入園口には旗本内藤屋敷門が設置されています』
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『時期が少し早かったようです。5割程度の開花状況でした。もう1週間くらい後が見頃だったかもしれません』
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『NHKのお天気カメラが園内に設置されていました。花菖蒲が咲いている時期だけ使用するんですかね?だとしたら期間めちゃめちゃ短かっ!』
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『ブルーフェスティバル開催期間中のみ設置されるバス亭です』
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『今年のラベンダーは例年通りの華やかさとはいかないかもしれませんね』
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『ラベンダー堤はまだ咲いていませんでしたが、支所の近くではコモンラベンダー系ヒドコート(ラベンダーの矮性園芸品種)が咲いていました』
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【地図】


住所:埼玉県久喜市菖蒲町新堀985−2
電話:0480-85-1111
入園料:無料
駐車場:時期により協力金300円
2011年6月11日投稿

武蔵国鷲宮神社 @埼玉県久喜市

2011年9月8日(木)
静御前の墓を出発し、まだ日が暮れるまで少々時間があったので、もう1か所くらい寄れるかなと思い、再びスマフォ版じゃらん観光ガイドを見ていて、関東最古の大社であるといわれる鷲宮神社に興味が湧き行ってみることにしました。
じゃらん観光ガイドの口コミの中に「アニオタ(アニメオタクのことだと思います)の聖地」とあったので、何の事だろうと思い、更に検索を繰り返すと「らき☆すた」という、主に春日部市を舞台のモデルにしているアニメがあることを知りました。鷲宮神社も舞台の1つで「らき☆すた」ファンにとっては聖地なんだそうです。

平日の夕方に若い男の子達が神社参拝している姿、駐車場に2台停まっていた「らき☆すた」の文字やキャラクターが描かれた痛車、「らき☆すた」キャラクターでいっぱいだった絵馬など、予備知識を持っていたので違和感はなかったですが、知らなかったら頭の中????マークでいっぱいになったことでしょうw

「らき☆すた」のお陰で大晦日にはTV中継があったり、年々参拝者数が増加しているとのことで、僕はこのアニメを今日まで全く知りませんでしたが、あらためてメディアの影響力の強さを実感しました。

僕も若い頃、大好きなアニメのキャラクターの絵を年賀状に描いたり、大好きな映画の撮影地を巡礼したことがありますので「らき☆すた」ファンの気持ちは十分に理解できます(^^)

話が神社自体のこととずれてしまっているついでなので、1つ疑問に思ったことを書くと、「鷲宮」と書いて読みは「わしのみや」「わしみや」のどっちなんでしょうか?
って書いた後、調べてみたらやっぱり同じ疑問を持つ方がいらっしゃるんですねw 他の方のブログに載っていました。
久喜市と合併する前の自治体名は「わしみや」、駅は「わしのみや」が正しく、鷲宮1~6は「わしみや」、大字鷲宮は「わしのみや」、鷲宮神社は「わしのみやじんじゃ」だそうです。合併に際し「わしのみや」に統一しましたが、一部高校の名前などは「わしみや」が残っているそうです。ということは今は「わしのみや」でいいってことでしょうね。

さて、ようやく鷲宮神社のことについてですが、ご祭神は天穂日命(あめのほひのみこと)、武夷鳥命(たけひなとりのみこと)、大巳貴命(おおなむちのみこと)、他九柱です。
当社は出雲族の草創に係わる関東最古の大社として、鷲宮大明神、浮嶋大明神、大酉元祖とも称し各所に多数の分祀があります。
鷲宮神社ホームページの由緒によると
『当神社は、出雲族の草創に係る関東最古の大社である。由緒は神代の昔に、天穂日宮とその御子武夷鳥宮とが、昌彦・昌武父子外二十七人の部族等を率いて神崎神社(大己貴命)を建てて奉祀したのに始まり、次に天穂日宮の御霊徳を崇め、別宮を建てて奉祀した。この別宮が現在の本殿である。崇神天皇の御世には、太田々根子命が司祭し、豊城入彦命、彦狭島命、御諸別王が、それぞれ幣帛を奉納した。景行天皇の御世には、日本武尊が当社の神威を崇め尊み、社殿の造営をし、併せて相殿に武夷鳥宮を奉祀した。桓武天皇の御世には、征夷大将軍坂上田村麿が、武運長久を祈り奥州鷲の巣に当社の御分社を奉祀した。中世以降には、関東の総社また関東鎮護の神として、武将の尊崇が厚く、歴史上有利な武将だけでも藤原秀郷・源義家・源頼朝・源義経・北条時頼・北条貞時・新田義貞・小山義政・足利氏歴代・古河公方・関東管領上杉氏歴代・武田信玄・織田信長・豊臣秀吉・徳川家康等があげられ、武運長久等を祈る幣帛の奉納や神領の寄進、社殿の造営等がなされた。なかでも江戸時代には、四百石の神領を与えられ、代々の将軍の名で朱印状が残されている。明治天皇の御世には、神祗官達により准勅祭社に定められ、勅使参向のもと幣帛の奉納がなされた。そして明治天皇行幸の際、当社に御少憩され、祭祀料として金壱封を賜り、昭和天皇の御世にも、幣帛を賜った』とあります。

由緒ある神社であることから、国指定重要文化財の「太刀」や国指定重要無形民族文化財の「鷲宮催馬楽神楽」など県指定文化財などを含め8つの文化財が所蔵されています。

【鳥居】
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【参道】
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『写真右の絵馬掛け所に人が見えます。若い男性で、絵馬をじっと見つめています』
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【絵馬掛け所】
『らき☆すた・らき☆すた・らき☆すた・らき☆すた!だらけです~w』
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『これ上手ですね。っていうか、138拝目ってすごっ(^_^;)』
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『写真左が八坂神社で右が八坂神輿殿です』
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【神輿殿】
『お神輿が収められています。鷲宮神社に伝わる本社神輿は江戸寛政年間(1789~1800年)に造られたもので、台座は縦・横とも約14m、重さが約3トンあり、俗に「千貫みこし」とも呼ばれ県内では最大のものと言われているそうです。一回に180人で担ぐお神輿ってとてつもない大きさ、重量ですよねw 余計なちゃちゃを入れますが、ちなみに一貫=3.75kgなので「千貫みこし」とはちょっと言い過ぎかもしれませんねw』
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【拝殿】
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【拝殿・本殿】
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【姫宮神社】
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【力石】
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【光天之池(みひかりの池)】
『古来よりこの池には龍神様が住んでいると言い伝えられてきましたが、永い年月の間に土砂が流れ込み池が埋もれていたそうです。平成11年から古来の御神池に復元するべく土砂を搬出していると、池から湧き水が溢れ出て、龍のような雲が空を覆いました。その時に「天まで光り輝くような池」というご神託を受け、光天之池と名付けたそうです』
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【久伊豆神社】
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住所:埼玉県久喜市鷲宮1-6-1
電話:0480-58-0434
ホームページ:http://www.washinomiyajinja.or.jp/
2011年9月19日投稿

静御前の墓 @埼玉県久喜市

2011年9月8日(木)
久喜市での仕事が早く終わったので、周辺散策をすることにしました。
スマフォ版じゃらん観光ガイドで近隣検索をしたところ、静御前の墓がある事が分かり、静御前といえば、源義経の愛妾だった女性という記憶しかなかったので、なぜこの地にお墓があるのか不思議に思い、見に行くことにしました。

JR東北本線、東武日光線栗橋駅東口からだと左方面へ50m程の場所、商店街「クラッセくりはし」の敷地の一角にあります。車で行く場合でもコインパーキングが駅の近くにあるので駐車場に困ることはありません。

説明板によると
静御前は、磯の禅師の一人娘として仁安三年(1168年)に生まれたといわれ、白拍子と呼ばれる美しい舞姫に成長いたしました。
干ばつが3年も続き、加えてその年も長い日照りで農民が大変に困っておりました。そこで後鳥羽上皇が寿永元年(1182年)、京都神泉苑に舞姫100人を選び「雨乞いの舞」を命ぜられました。最後に静が舞い始めると空がにわかに曇り、激しい雨が降り出し3日3晩も降り続いたといいます。後鳥羽上皇は、静が15才でありながら類稀な才能を賞嘆され、褒美に「蝦蟇龍(がまりゅう)」の錦の舞衣を賜りました。この衣は現在古河市中田町の光了寺に保存されております。
平氏追討に功績のあった義経の寵愛を受けた静が初めて義経に出会ったのもその頃のことでした。その後、義経は兄頼朝の不興を蒙り、奥州平泉の藤原氏を頼って京都を落ちのびました。静は義経を慕って京都を発ち、平泉へ向かいましたが、途中の下総国下辺見付近で「義経討死」の報を耳にして悲しみにくれ、仏門に入り義経の菩提を弔いたいと再び京都へ戻ろうとしました。しかし、重なる悲しみと馴れぬ長旅の疲れから病気となり、文治五年(1189年)9月15日、この地で死去したと伝えられています。
侍女琴柱がこの地にあった高柳寺に遺骸を葬りましたが、墓のしるしが無いのを哀れみ、享和三年(1803年)五月、関東郡代中川飛騨守忠英が「静女之墳」の墓碑を建立したものと考えられています。また、境内にある「舞ふ蝶の 果てや夢見る 塚の蔭」という歌碑は、江戸の歌人坐泉の作を村人が文化三年(1806年)三月に建立したものであります。
(注)公式には、静御前の生没年は、はっきりしていません。ここに記されている内容は当地の伝承をもとにしています。
久喜市教育委員会、静御前遺跡保存会
ということだそうです。久喜市指定文化財になっています。

「静御前の墓」とグーグルって見ると山口県阿東町、新潟県長岡市栃尾の静御前の墓も結果表示されました。歴史的に名を知られている人物でも謎の多い人物は各地でいろんな伝承が生まれるんでしょうね。しかも美女だったとくればなおさらかもしれませんw

愛する人を追っている最中、愛する人の死を知り、肉体的疲労に精神的ショックが加わり亡くなるなんて、栗橋の伝承はなんとも切なくなる話です(TT)

当地が本当の静御前の墓かは分りませんが、安らかに眠っていただけますよう拝んできました。

また、静桜(しずかざくら)という桜は静御前ゆかりの花で、里桜の一種といわれ、5枚の花弁の中に旗弁といって、雄しべが花びらのように変化したものが混じる特殊な咲き方をします。栗橋では静桜を町のシンボルとして大切に育て「静桜の里くりはし」づくりを進めているそうです。
桜の季節が来たら、是非再度栗橋に訪問してみたいです。
この咲き方って僕の地元志木市の長勝院の旗桜と同じですね。

【静御前之墓入口】
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【静御前の墓】久喜市指定文化財
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『写真左が静女塚碑で右が歌碑です』
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【静御前七百五十年祭慶讃記念塔】
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【墓所の様子】
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『「クラッセくりはし」の一角あります』
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【地図】


所在地:埼玉県久喜市栗橋中央1-2
2011年9月19日投稿
プロフィール

keny72

Author:keny72
4人家族で埼玉県志木市に在住。暇さえあれば、計画そこそこ、行き当たりばったりのぶらり散歩に出かける、アラフィフ放浪オヤジですwww

転勤で2013年4月から2018年3月の5年間、秋田県で単身赴任していたので東北地方の記事も多いです。

再び転勤で2023年4月から石川県金沢市で単身赴任しているので、2023年4月以降は北陸地方の記事が多くなる予定です。

更新が遅い故、季節外れの記事が多くなってしまいますが、その辺は大目に見て頂きたくお願い申し上げますm(__)m

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