大鳥神社 @東京都目黒区
2020年8月22日(土)
目黒寄生虫館の見学を終え、大鳥神社にやって来ました。
由緒書きによると
景行天皇の御代(71~130年)当所に国常立尊を祀った社がありました。景行天皇の皇子である日本武尊は、天皇の命令で熊襲(くまそ)を討ち、その後、東国の蝦夷を平定しました。
この東夷征伐の折、当社に立ち寄られ、東夷を平定する祈願をなされ、また部下の「目の病」の治らんことをお願いなされたところ、東夷を平定し、部下の目の病も治ったことから、当社を盲神(めくらがみ)と称え、手近に持っておられた十握剣(とつかのつるぎ)を当社に献って神恩に感謝されました。
この剣が天武雲剣(あめのたけぐものつるぎ)で、現在当社の社宝となっております。
東征の後、近江伊吹山の妖賊を討伐になられましたが、病を得て薨(こう)ぜられました。日本書記に「尊の亡骸を伊勢の能褒野(のぼの)に葬したところ、その陵(みささぎ)より尊の霊が大きな白鳥(しらとり)となられ倭国を指して飛ばれ、倭の琴弾原(ことひきのはら)、河内の舊市邑(ふるいちむら)に留まり、その後、天に上られた」とあり、このことから日本武尊を鳥明神と申す訳です。当社の社伝によると「尊の霊が当地に白鳥としてあらわれ給い、鳥明神として祀る」とあり、大同元年(806年)社殿が造営されました。当社の社紋が鳳の紋を用いているのはこのためです。江戸図として最も古いとされる長禄の江戸図(室町時代)に当社は鳥明神と記載されております。
なのだそうです。
御祭神は日本武尊、国常立尊、弟橘媛命です。
酉の市(八つ頭と熊手)の由来は、説明板によると
当社の酉の市は都内でも古く、江戸時代に始まります。酉の市が毎年11月の「酉の日」に行われるのは、尊の熊襲討伐の出発日が酉の日だった為、その日を祭日としました。酉の日の当日、御神前に幣帛(へいはく)として「八つ頭(やつかしら)」と「熊手」を奉献します。「八つ頭」は尊が東征の時、八族の各頭目を平定された御功業を具象化したもので、「熊手」は尊が焼津で焼討ちに遭われた時、薙ぎ倒した草を当時武器であった熊手を持ってかき集めさせ、その火を防ぎ、向火をもって賊を平らげ、九死に一生を得た事を偲び奉るためのものです。ここから、古来より「八つ頭」は人の頭に立つように出世できるという縁起と結びつき「熊手」は家内に宝を掻き込むという意味で縁起物として広く信仰を集めました。大鳥神社の社名「おおとり」は「大取」に通ずる為、宝物を大きく取り込むという商売繁盛開運招福の神様として、多くの人達の信仰を集めております。また、酉の市当日は、社殿において、この縁起のもとになる「開運熊手守」が授与されます。
なのだそうです。
【鳥居】
『もろに逆光です・・・』

【社号標】

【手水舎】

【狛犬・拝殿】

【狛犬】

【由緒】


【拝殿】


【扁額】

【目黒稲荷神社】

【御神木】


【神楽殿】

【オオアカガシ記念碑・切支丹灯籠】

【切支丹灯籠】

【切支丹灯籠説明板】

【オオアカガシ説明板】
『枯れてしまったのですね』

【社務所】

【北側鳥居】

『目黒区最古の神社で江戸期には目黒不動、金比羅権現と並び「目黒の三社様」と言われました。天保の頃から伝わる太々神楽「剣の舞」「熊手の舞」は華麗で荘厳なのだそうです。毎年11月には酉の市が立ちます』

【地図】
住所:東京都目黒区下目黒3-1-2
電話:03-3494-0543
ホームページ:https://www.ootorijinja.or.jp/
2022年11月13日投稿
目黒寄生虫館の見学を終え、大鳥神社にやって来ました。
由緒書きによると
景行天皇の御代(71~130年)当所に国常立尊を祀った社がありました。景行天皇の皇子である日本武尊は、天皇の命令で熊襲(くまそ)を討ち、その後、東国の蝦夷を平定しました。
この東夷征伐の折、当社に立ち寄られ、東夷を平定する祈願をなされ、また部下の「目の病」の治らんことをお願いなされたところ、東夷を平定し、部下の目の病も治ったことから、当社を盲神(めくらがみ)と称え、手近に持っておられた十握剣(とつかのつるぎ)を当社に献って神恩に感謝されました。
この剣が天武雲剣(あめのたけぐものつるぎ)で、現在当社の社宝となっております。
東征の後、近江伊吹山の妖賊を討伐になられましたが、病を得て薨(こう)ぜられました。日本書記に「尊の亡骸を伊勢の能褒野(のぼの)に葬したところ、その陵(みささぎ)より尊の霊が大きな白鳥(しらとり)となられ倭国を指して飛ばれ、倭の琴弾原(ことひきのはら)、河内の舊市邑(ふるいちむら)に留まり、その後、天に上られた」とあり、このことから日本武尊を鳥明神と申す訳です。当社の社伝によると「尊の霊が当地に白鳥としてあらわれ給い、鳥明神として祀る」とあり、大同元年(806年)社殿が造営されました。当社の社紋が鳳の紋を用いているのはこのためです。江戸図として最も古いとされる長禄の江戸図(室町時代)に当社は鳥明神と記載されております。
なのだそうです。
御祭神は日本武尊、国常立尊、弟橘媛命です。
酉の市(八つ頭と熊手)の由来は、説明板によると
当社の酉の市は都内でも古く、江戸時代に始まります。酉の市が毎年11月の「酉の日」に行われるのは、尊の熊襲討伐の出発日が酉の日だった為、その日を祭日としました。酉の日の当日、御神前に幣帛(へいはく)として「八つ頭(やつかしら)」と「熊手」を奉献します。「八つ頭」は尊が東征の時、八族の各頭目を平定された御功業を具象化したもので、「熊手」は尊が焼津で焼討ちに遭われた時、薙ぎ倒した草を当時武器であった熊手を持ってかき集めさせ、その火を防ぎ、向火をもって賊を平らげ、九死に一生を得た事を偲び奉るためのものです。ここから、古来より「八つ頭」は人の頭に立つように出世できるという縁起と結びつき「熊手」は家内に宝を掻き込むという意味で縁起物として広く信仰を集めました。大鳥神社の社名「おおとり」は「大取」に通ずる為、宝物を大きく取り込むという商売繁盛開運招福の神様として、多くの人達の信仰を集めております。また、酉の市当日は、社殿において、この縁起のもとになる「開運熊手守」が授与されます。
なのだそうです。
【鳥居】
『もろに逆光です・・・』

【社号標】

【手水舎】

【狛犬・拝殿】

【狛犬】

【由緒】


【拝殿】


【扁額】

【目黒稲荷神社】

【御神木】


【神楽殿】

【オオアカガシ記念碑・切支丹灯籠】

【切支丹灯籠】

【切支丹灯籠説明板】

【オオアカガシ説明板】
『枯れてしまったのですね』

【社務所】

【北側鳥居】

『目黒区最古の神社で江戸期には目黒不動、金比羅権現と並び「目黒の三社様」と言われました。天保の頃から伝わる太々神楽「剣の舞」「熊手の舞」は華麗で荘厳なのだそうです。毎年11月には酉の市が立ちます』

【地図】
住所:東京都目黒区下目黒3-1-2
電話:03-3494-0543
ホームページ:https://www.ootorijinja.or.jp/
2022年11月13日投稿